水師営の別館

プロ野球・時事評論・就活・身の回りを中心にあれこれ述べるTwitterのスピンオフ的ブログ

その合流の先に「希望」はあるのか

急展開の合流宣言

14人の国会議員と小池知事による「希望の党」結党宣言から間もなく、民進党が事実上の解党・合流宣言をした。以前より二党の選挙協力は噂されていたが、まさか党そのものを解体するとは誰が予想していただろうか。民進党の反対・抵抗路線、民共共闘への強い不快感から離党した議員を中心に結党された以上、民進党議員全員の合流が実現することはあり得ないだろう。


仮に民進党議員全員の合流が実現すればそれは「看板の付け替え」に過ぎない。もちろん結党メンバーから「憲法改正と安全保障」での一致を要求されている。己のバッジ欲しさに転向するのか、信念を貫くのか大きな判断を強いられることは間違いない。一方的な合流宣言なのかどうかは不明だが、この選別を厳格に行うことが希望の党の将来にかかっていると考える。


自主再建ができなかった民進党

2012年総選挙での大惨敗以降、党名変更や頻繁に代表選を開催など試行錯誤するも支持率向上にはならなかった。こうした低迷の中、最後に頼ったのが共産党であった。しかしこれが破滅へのカウントダウンの始まりだったように見える。ウイングを左に旋回しても得られる票は限られる。また皇室・自衛隊憲法など到底理解できない存在との協力には限界があったはずだ。


リベラルを自らが志向するにしても果たして共産党共産主義者はリベラルと言えるのか想像すべきだったし、この民共共闘が実現しても議席を数十増やす程度で「社会党への先祖返り」への道まっしぐらだったのではないか。与党と野党第一党が切磋琢磨する政治環境を期待していたゆえに、ここ数年の民進党の迷走ぶりには失望していたのが正直な気持ちである。


歴史が繰り返されないために

「改革」や「保守」を標榜し成立した政党は1990年代以降何度も登場しては消滅していった。国民の感心を買ったものの、いざ自分達が政権ないしは一定規模の組織を持つと内部崩壊するという繰り返しであった。改革はイデオロギーに関係なく好まれるフレーズであり、保守も自民には飽き足りない層を獲得できるフレーズであるが、扱いに難しい概念である。


政治家にとっても有権者にとっても魅惑的な言葉を掲げたが、それゆえに希望の党には強い疑心を抱かざるを得ない。また泥舟から党首が率先して逃げ出した民進党には呆気に取られた。そして民進左派、共産党はおいてけぼりにされた感がある。しかし全てにおいて言えるのは有権者無視のバッジ欲しさの生存競争である。


日本の命運を決する総選挙か

今回の解散は大義なき解散と当初は呼ばれたが、ここまで政局が動き、国際情勢の慌ただしさを思うとこれから数年の波乱の時代を乗り越えるための意味ある総選挙だと思う。少子化時代の社会保障をどうするのか、雇用と所得をいかに改善していくか、緊迫する安全保障環境をいかに打破していくか、その未来図を大いに各政党には語ってほしい。


特に野党は政権打倒の掛け声に終わるのではなく、その後の展望も責任を持って語ってもらいたい。ただ打倒だけを目標にしたあの政権交代の行く末を思い起こすと分かるはずだ。安倍首相は「国難突破解散」と命名したが、解散そのものや総選挙の結果が国難を招いたと後世の人から言われないよう選ぶ側も選ばれる側も自覚した行動を取りたいものである。

衆議院解散の風

突如吹いた解散風

誰がこの電撃的な解散を予想できただろうか。9月28日に召集予定の臨時国会冒頭で衆議院解散が告げられ、翌月の22日に投開票が行われるという見立てだ。森友、加計問題と日報問題、相次ぐ2回生議員の不祥事から、危険水域に落ち込みつつあった支持率が内閣改造と加熱する報道に各種反論もあって回復傾向にあった中でのこの報道には大変驚かされた。


しかし昨今の政治情勢を見るに、この段階での解散表明は当たり前と言えば当たり前であり、与党が勝ちに行くためにある総選挙と思うと至極当然な判断であろう。もちろん大義がない、勝ち逃げだとの批判もあるだろうが勝てる時期に解散するのが常道であり、大原則である。そもそも任期満了まで一年と僅かという時期である。むしろ「常在戦場」の心構えであるのが普通と言わざるを得ない。


与党にとってまさに天祐か

人気取りと待機組に配慮した面々を追放し、第二次安倍内閣の功労者や大臣経験者を中心に組閣した内閣改造の結果、支持率は向上した。もちろん国会審議が始まっていないので期待値込みの数値ではあるが、北朝鮮問題に際し外務・防衛の重責を担う河野・小野寺両氏には安定感と信頼感を抱く。しかしそうした内部的側面よりも解散を決断した理由は敵失にあると見た方が適切であろう。


民進党の有力議員から出た驚くべき不倫騒動、止まらぬ離党者と予備軍という野党第一党の脆さを突いたと言える。内部がぐらつく中、一致団結を強いられる選挙を突きつけられるというのは酷な話ではあるが、現状のままでは惨敗するだろう。共産党との共闘路線を見直す方針だったが、目先の票欲しさに選挙区での調整を企画しようするなど民進党の慌てぶりは感じられる。


小池新党はどうなる?

自民党にとっての脅威は民進党よりもいわゆる小池新党ではないだろうか。絶えず『改革』という漠然としたフレーズに惹かれて、フラフラと投票行動を変える「青い鳥を探す層」が国民の中には一定数いる。分かりやすく言えば「無党派層」だが、彼らの不満が7月の都議選では都民ファーストに一挙に集中した苦い経験が悩みのタネであろう。


自民党の先生たちからすると「バカな有権者」と内心思うかもしれないが、侮ってはいけない。いつの選挙もこの層をガッチリ掴んだ政党が最後に笑うからだ。もちろん単に民進党の離党者の「収容所」なってしまえば人心は離れる。しかし清新なイメージ作りに躍起になっている彼らはそんな愚かなことはしないだろう。急ごしらえになるだろうが東京とその近辺では風を吹かせるかもしれない。


その一票、うっかりでは済まされない

私が解散報道を受けて感じたことは上記の通りではあるが、あくまで政局や政党事情であって、来る総選挙の争点や推奨する個人や政策までは深く言及しなかった。なぜならどの党がベターなのか、どの政策が国家国民にとってベターなのかは「皆さんの決めた基準」で選んでもらいたかったからだ。たかが一票と思わずあらゆる情報を見聞きして判断をしてほしい。


特に考え方が定まってない人にはその過程をより丁寧にやってもらいたい。無党派層のことを厳しい言葉で表現したが、たとえ無党派層でも「私は考えた」と言える無党派層であってほしい。「うっかり一票」ではなく「しっかり一票」の割合が増えることが、世の中に蔓延する情けない、恥ずかしい政治家を淘汰する一番の近道であるだろう。

TBSラジオ、野球中継撤退か

当たり前の存在がなくなる?

この撤退報道に驚愕した野球ファンは多いのではないだろうか。ニッポン放送と双璧をなすラジオ放送局のTBSラジオが今年の10月いっぱいで野球中継から撤退するとの報道がなされた。公式発表はまだなされていないが、このような情報が流れてくることから野球中継がこの局にとって負担になっていることは容易に察することができる。


TBSラジオが撤退した後のJRN系列の放送局の中継は続くのか、CSや日本シリーズの中継も止めるのかなど気になる点はたくさんあるが事の真偽が判明する10月を待つしかない。しかし4月から9月まで毎日ナイター中継があることが当たり前だった感覚に衝撃を与えるニュースに私は戸惑いを隠せない。


生活のそばにあったラジオ中継

私がプロ野球に興味を持って今年で15年目になるが、長らくテレビ中継に次いでラジオの野球中継にもたくさんお世話になってきた。例えば、まだBS中継が少なく地上波中継が盛んだった頃は7時になるまでの一時間と中継終了後にラジオで楽しんでいた。また風呂に入る時にもラジオを浴室に持っていき、一瞬たりとも巨人戦の動向から離れぬよう耳を傾けていたものだった。


地上波中継が衰退していき、その一方でBS中継やCS中継が充実してもラジオ中継を楽しむ習慣は崩れなかった。受験期には部屋で勉強しながらこっそり聴いていたし、夜に歩きながら中継を聴いていたものだった。私なりの楽しみ方はこんな感じであるが、タクシーやトラック運転手のおじさんたちの楽しみでもあっただろうし、飲食店のBGM代わりにナイター中継は流れていたものだった。


すでにその兆候はあった

しかしここまでして野球を、特に巨人戦を見よう聴こうとする人は減る一方であり、同世代ではごく僅かに違いない。野球中継を取り巻く環境が厳しくなる中、TBSラジオに限って言ってもそれは目に見えて分かるものだった。2010年以降この局は土日のナイター中継から撤退しており、中継にかかる人的、金銭的負担減への動きはすでに始まっていた。


またTBSラジオは自局制作の巨人主催試合の中継を減らして他の試合を放送したり、昨年度からはラジオ日本との提携を開始したりして、いかに巨人戦の負担を減らすか苦心していた様子は薄々感じられていた。そもそもニッポン放送やラジオ日本に比べ、割高な放映権を支払っていたと聞く。聴取率の向上が望めない中、他局に比べて苦しい立場だったことが影響したのだろう。


多角化する野球中継

もちろんスマホやネットでラジオを聴けるradikoの登場で若い世代がラジオに親しむ環境は改善された。しかしテレビかラジオでないと野球が楽しめない時代は終わりニコニコ動画やHulu、スポナビライブ、AbemaTVなどネット配信で十分に楽しめる環境が整備され、ラジオ中継の復権にはつながらなかった。そのような状況で、ついに限界を感じたのだとするとこの撤退報道は真実味が高い。


私が心配するのは、この報道が事実であれ、飛ばし記事であれ、これを発端に他社も含めラジオ中継全体の規模が縮小することである。確かに各局横並びで巨人戦中継という現状が異常だったのかもしれないが、だからといって野球中継そのものから撤退することが事実なら残念で仕方ない。一つの野球文化が転換期を迎えつつあるが、暗雲ばかり広がる状況を払拭する環境ではなさそうだ。

スケジュールの都合とは

横浜での楽曲披露

三連休最終日の18日にテレ朝系列で放送されたMステの10時間スペシャルに乃木坂46が出演した。この音楽番組に起用されたことは人気歌手の仲間入りを果たしていることの証左であり、今を輝くアイドル集団であることはファンという贔屓目を除いてもそう言えよう。放送同日に横浜で「個別握手会」が行われていたために、彼女らは横浜から17thシングル表題曲「インフルエンサー」を披露した。


表題曲の披露であるため、原則、その曲の「選抜メンバー」が歌うのだが一部ファンからは苦笑、失笑が示された。「スケジュールの都合」として一部メンバーの握手会欠席が告知されていたにも関わらず、握手会開催地である横浜に登場していたからである。これには「スケジュールが合わないのになぜ横浜に?」や「スケジュールの都合という表現は便利だね」という旨の皮肉が見られた。


オタクと会いたくないから?

「素直な」ファンはこの事態に対し「忙しい合間を縫って来てくれたんだ!」と肯定的に解釈したが、それでもなお「オタクと握手がしたくないんだろ」と厳しい感想を残す者もいたことは事実だ。もちろん欠席した一部メンバーの心境は分からない。スケジュールの都合がどういう意味合いなのかも分からないが、不信感を一部のファンに与えてしまったことは否定できない。


私自身、握手会に行ったことはないが、握手する側も、される側も双方に負担の多い行事かと推察することはできる。特に握手する側は見知らぬ、大人数を相手に、機転を効かせながら、時に嫌なファンにも対応しながら、長時間、握手することへの苦労は忍ばれる。売れっ子になってもなお、こうした握手をすることへの不平不満を述べ、運営が「忖度」を働かせても不思議ではないだろう。


運営なりの働き方改革?

しかし仮にも普段から応援してもらっているファンを切り捨てる言動を放てば自身のアイドル生命が終了することは間違いない。そのため「握手不参加要求説」とでも言うべき説は安易な考えかもしれない。ではもう一つ考えられる「過労抑止説」はどうだろうか。つまりモデル業や女優業そして歌番組、バラエティ番組や雑誌など多忙を極める中で一日中行われる握手会は免除しようということだ。


前述したように握手会は過酷な労働だ。従って心身への配慮が求められることには理解が得られるであろう。しかしそうであるならば「スケジュールの都合」とい言葉は不適切な表現であろう。矛盾だらけな状態を清濁合わせてのみ込むことが多い「アイドルオタク」とはいえ、その受容が無尽蔵なものではないはずだ。当然運営側も認識しているだろう。


原点は握手会を軸とした商売

握手会に行かない私からすると「労働時間調整のため」と告知してくれた方が正直な運営だと思う。しかし大多数を占める握手会を熱望するファンからすると納得できる表現ではないなとも思う。「そんなに外仕事優先ならアイドルは卒業したらどうなんだ」とか「腰掛けでアイドルしてるんだ」と批判される可能性は十分にあり得る。なぜなら原点は「握手会をする」アイドルだからだ。


握手会を軸にして人気を得る様式はコンセプトや理想像の違いはあれども他のアイドルグループと一緒だ。それは非アイドルファンの声を聞くとよく分かる。外仕事が知名度向上に資することはよく分かるが、握手会の否定は信頼感を損ねかねない。「スケジュールの都合」という「都合のいい言葉」が「不都合な真実」を伝えやしないかと考えを巡らせたのは私だけだろうか。

巨人打線の高齢化

決戦の一週間を終えて

巨人軍のペナントレースの順位を定めるに違いない大事な一週間が終わった。火曜からの敵地・甲子園での対阪神3連戦は1勝2分、土日のホーム・東京ドームでの対DeNA2連戦は1勝1敗という成績であった。その結果、DeNA相手に1ゲーム差をつけて3位という位置を死守することができた。13連敗したチームとは思えぬ激しいCS争いができていることはファンとして幸せなことである。


こうした激しいデットヒートを戦えるのも頼もしい先発3本柱と畠の活躍と切れ目のない(今の戦力でできる)理想的な打線が完成したからであるが、そのラインナップを見ると言えることがある。それは「巨人打線の高齢化」だ。以前から言われてきたことではあるが、今年はこれでよいとしても、来年以降を見据えるといよいよ大きな問題となってきた。


打線の高齢化が止まらない

シーズン序盤は中井(27歳)と立岡(27歳)の20代、1、2番コンビだったものの、得点力に寄与しない二人はスタメンから降格し、現在は陽(30歳)とマギー(34歳)の二人に変わった。その結果、上位打線の出塁率長打率は改善し、最大11あった「借金」を完済することができた。借金完済の貢献者の二人ではあるが、年齢と陽の脚、マギーの膝を思うと憂慮すべき点が大きいのも事実だ。


しかし彼らは巨人打線全体からするとまだまだ若い方かもしれない。4番の阿部は38歳、5番の村田は36歳、亀井は35歳であり、長野も32歳だ。クリーンナップが坂本(28歳)を除き30代後半であり、彼ら中軸の引退は攻撃力低下になることは間違いないが、その代わりとなる期待の星が現れてないのが現状だ。一年また一年と漫然と時間を費やしてしまっているのが今の巨人ではないだろうか。


新陳代謝の悪い打撃陣

過去10年ほどの巨人を牽引した貢献者たちではあるが、あまりにも代わり映えのしないその布陣には不安を抱く。なぜならチームの柱となる選手は一朝一夕には誕生しないからだ。だからこそ時間をかけ育てるしかないのだが、ことごとく失敗または未成功の状態が続いている。補強で一瞬の回復は可能ではあるがそれでは根本的解決にはならない。まさに巨人は重要な、深刻な転換期にあるのだ。


もちろん世代交代に着手した跡は見られるが、いずれも中途半端な期待と方針によって失敗してきた。大田泰示はまさにその典型例だ。右の大砲候補、松井2世と言われながらもトレードで放出し、新天地では巨人時代以上の成績を出している。これまでの功労者と若手との天秤で長期的な判断ができず、すぐに痺れを切らして二軍落ちからの一軍昇格を繰り返しては逸材を生かせられるわけがない。


悪夢の低迷期だけは避けたい

今、スタメンに名前を連ねる選手たちの引退後の穴を埋められなければ、巨人は2020年代深刻な低迷期に突入する可能性が高い。一旦低迷すれば再起するには時間がかかることは容易に想像できる。しかし「常勝」を宿命づけられた巨人にそれを許すことは当然できないはずだ。そのためにはポスト阿部、ポスト村田を見出ださなければならない。残された時間は多く見積もっても2年だろう。


ベテランにはベテランの立場や役割を期待したいが、いつまでも硬直化した組織は不健全であろう。また「自分からよじ登ってこい」と言うのは簡単であるが、育成と発掘を怠ったまま努力を促すのは無責任の極みである。今いる選手への辛抱強い指導と起用はもちろん、ドラフトでの小粒な野手ばかり指名する無難な方針から、強打者候補獲得への野心的な方向転換を強く求めたい。