水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。

11日の土曜日

今日、2月11日は「建国記念の日」です。悠久の歴史を偲び、祖国の生まれた日を祝う意義深い、素晴らしい日ですね。とはいえ今日は土曜日なので祝日感が半減。日曜日ではないので振り替え休日も当然ありません…


日本書紀』によると、紀元前660年の1月1日(旧暦)に橿原宮で神武天皇が即位を宣言した日とされ、それを新暦に直すと2月11日になるから建国記念の日として今日が祝日になっているのです。国の成立がよく分からないほど古くまで、神話の時代まで遡るので、どこまでが確かなのかは分かりませんが、神話と歴史が織り成してきた日本の歩みに思いを馳せるいい日だと思います。


こう説教くさいことを書きながらも私は長期休暇の最中、毎日がお休みなので祝日だからといって変わったことは特にしてません。去年も『古事記』や『日本書紀』を読もうと決意しても読まなかったし、今年こそは()という気持ちで頑張りたいと思います。


今年で建国2677年を迎えた日本。過去には、昭和15年に「紀元2600年」を祝う行事が国策的事情のもと大々的に開催されましたが、23年後の「紀元2700年」にも何か行事をするのでしょうか?私は記念硬貨ファンなので、少なくとも「建国2700年記念 1000円銀貨 1万円金貨」なんてものが販売されたらいいなと期待を寄せています。

人はなぜいい学校を目指すのか?

ドラマ好きの私は今クール計5本見てるが、その中には金曜22時TBS系列で放送中の『下剋上受験』がある。この作品は中卒の父親とその娘が超難関中学合格を目指すという実在した親子の奮闘記を原作にしたホームドラマであるが、そのドラマや原作者のブログから私が感じたのは「学歴への負い目」と「いい学校に行けばいい大学、いい会社に入れて、いい人生を歩める」という考えだった。


この考えのうち、特に後者は古くから言われることだが、なぜずっと言われ続けるのかそう自問自答したときにたどり着いたのがこの結論である。「いい学校(つまり学歴や知識)こそが普通の家庭に生まれた子に与えられたいい人生(金銭的・精神的安定や余裕)を得るための手っ取り早い方法である。」ということだ。


いやそれは違うという声もあるかもしれないがどうだろうか。例えば美男美女に生まれることは生得的な幸運であり、こんなことに期待しても無駄である。凡人が写真集で18万部稼ごうと努力するより単語の1つや2つ覚える方がはるかにいい人生への近道である。プロ野球選手になるのと難関大学に入ることのどちらが簡単かは言うまでもない。


生得的な能力やリスキーな能力に賭けられない我々、一般家庭に生まれた凡人はやはり勉強するしかないのだ。だから親心で子供にいい学校に行かせようとした原作者は決して我が子に受験を強いる悪魔でも鬼でもない。武力がモノを言う戦国時代でもない平成の御代で唯一下剋上できるのは受験という合戦場ではないだろうか。


もちろん大学進学を全員する社会を目指すべきとは思わない。手に職をつけたり、高度な技術が求められる家業を引き継いだりする人は存在するし、高等教育と言いがたい大学を増加させてまで大学進学を促す社会は健全と思えないからである。


しかし何ら生得的な才能を持たずに生きる以上、勉強という競争こそがいい人生を送るための近道の一つであることは間違いない。


ある人は「学歴は仕事に関係ない」と言うが、仕事にたどり着くまでに大いに関係するのだからこんな主張はあてにならない。(こういうことを言う人に限って高学歴なのだからなおさらいかがわしい主張だ。)


2月、3月と受験シーズンまっただ中だ。受験生には各人の家庭環境の違いはあるかもしれないが、競争に励んで栄冠を掴んでほしいと願うばかりである。

ブログ開設にあたっての挨拶

Twitterの140文字では表現できないこと、Twitterアカウントの別館であるブログだからこそ書けること、そのような話題を中心に投稿するためにブログを開設しました。投稿の頻度はそんなに多いわけではありませんが、共感できるなとか、これは違うなとか色々皆さんに考えてもらえる文章を書こうと思います。