水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。

見なかった月9ドラマ

1月期のドラマも終わり、しばらくは特番の連続という日々になりましたね。私は4作ドラマを見ましたが、どれも最後まで楽しむことができました。しかし1つ、初回で断念した作品があります。それは月9の『突然ですが、明日結婚します』でした。この断念した作品は月9史上最悪の視聴率を叩き出し、平均もワーストでした。しかし何がダメだったのか色々分かってたはずです…



一つにあまりにも脆弱なキャストだったことでしょう。噂では視聴率の悪い月9に出ることを拒否した役者さんが連発し、なんとか合意に至ったのが西内まりやさんだったとか…彼女はモデルやCM、歌と多方面で活躍してるとはいえ、全体的に月9らしい華々しさが弱かったのは事実でしょう。演者ありきのドラマも批判されがちとはいえ、今回は始まりから負け戦オーラが強かったです。



そしてお話の浮世離れというか共感のしずらさも大きかったと思います。主人公は総合職として入社したにもかかわらず、突然専業主婦になると宣言するあたりに興ざめ感を覚えずにはいられませんでした。確かに専業主婦に憧れる20代女性は多いようですが、お金がない若者にあふれるこのご時世、非現実的すぎる設定に幅広い共感、すなわち話題のドラマとなるのは厳しかったのでしょう。



あり得ない設定と言えば『逃げ恥』はどうなんだという反論もあるでしょうが、キャリアウーマンの悲哀や就職難、性差、働き方などという問題提起が含まれてた点で『突然ですが~』と大きく違ったと思います。20代で専業主婦を希望する女性が仮に周囲にいたら、男から見ててもやはり地雷臭を感じます。もう「男は外で働き、女は家を守る」という価値観は過ぎ去った概念ですからね…



キャストの弱さ、視聴者に共感されないこの2点は低視聴率ドラマに共通する残念なことでしょうが、個人的にはもう1点、ああ無理と思った点がありましたね(笑)それはこれでもかっ!と押しつけてくるリア充感です。これは僻みなんで分析でもなんでもありません。コネ入社の金持ち坊っちゃんや美男美女ばっかりの職場、会社を離れてもみんなで遊んだりと消化不良を起こす設定でした…



理想と現実の間で脚本を仕上げることは難しいとは思っています。しかし旧時代的な価値観とこんなドラマ作っておけば女は喜ぶだろうという浅さがあのキャストでは覆い尽くすことができなかったと思います。月9は恋愛ものという固定観念から離れ色々挑戦してみるのも必要ではないでしょうか。これは低視聴率にあえぐフジテレビ全体にも言える話だと思います。

「人財」表記の怪

新入社員は入社式、就活生はエントリーシートという怪文書の作成に励む時期に入りましたね。ありもしない経歴や人格を語るのは止めようと思う私は自分が経験したことの美化に励んでいるところです。しょーもない経験談があら不思議、一気に美談と化します。そんな中、私が最近気になっているのが一部の企業で使う「人財」という表記です。



私はこれを初めて見聞きした瞬間、言葉にできない違和感と居心地の悪さを感じました。普通に人材とか人事という表記で採用活動に努める企業もある中、人財と臆面もなく使う企業が一定数いることに疑問を拭えません。なぜ一般的な単語を使えないのか、材を財にする意義、単語を変えたことによって具体的に何か変わったのか等々気になるばかりです。



説明会に登壇する彼らいわく「弊社は社員を『もの』ではなく『財(たから)』だと考えてる。人こそが弊社の強みの源である」と…高らかな理念を掲げるほど胡散臭いと感じられる「ありがたーい」お言葉です。誠意とは言葉ではなく態度で示せと思う就活生はどれだけいるのか?でもこの言葉に感動する子の方が多そうだなと心の中で冷笑する自分がいます。



人材を人財と称す企業全てがブラック企業と言いません。しかしあえてそうする理由の裏を知りたいと思うのは私だけでしょうか?具体的な労働環境の整備より言葉を飾ることが目的になっているのではないかと感じます。「会社は社員に優しい。みんな『やりがい』を持って働いてる。」そう語ることとセットで人財と語るからなおさら猜疑心が増幅します。



ではあなたの一番身近にいる社会人、すなわち親は会社の優しさとかやりがいを我が子に語っているでしょうか?少なくとも私は聞いたことありません。やりがいなんて当然なく、理不尽なことや拘束時間の長さを嘆く言葉の方が多かったです。それが現実なのに財だの財産だの臭いセリフを聞かされても心に響きません。



それならそんなお題目なんて唱えず、さらっと流して業務内容や募集要項、給与など現実的なお話に時間を割いてほしいものです。働き始めてから分かることの方がたくさんあるでしょう、楽しさとか苦しさとか嘆かわしさとか…たかが学生の分際で未来への希望というハードルを上げることは止めておこうと心に留めています。



そもそも「材」という漢字にはすでに「才能」という意味が入っています。わざわざ「財」とモノ扱いするより、個人(の才能)を重視する点で人材は問題ありません。しかし氾濫する人財というワード…これは空虚な言葉遊びや上っ面の良し悪しの競い合い、軽薄な自惚れにまみれた社会の風潮が生んだのでしょう。ぜひ皆さんも企業が人財という言葉を使ってるかにも注目してみてください。

WBCを終えて

栄冠を求めて戦った侍たちが負けた。破竹の勢いも続かず、アメリカの地で破れた野球日本代表…並外れた能力を持つメジャーリーガー相手に2-1という結果に終わりました。決勝で4年前の雪辱を果たすという挑戦も叶わないことに悔しさを感じるファンもいることでしょう。しかし私は彼らの武勲を称えたいと思います。



破れた米国戦も紙一重の試合だったと思います。ミスが試合の明暗を分けてはしまいましたが、選手を責めても意味がありません。過去を追いかてもしょうがないのですから。そして菅野は相変わらずキレキレの直球と変化球を投げてくれました。シーズン中に投げるときと同じく頼もしかったのですが、援護率の低さもまた相変わらずシーズン中と同じだったのは不思議でなりません…



ベスト4で終わるまで無傷の6連勝でしたが、全体的に打力のあるチームだったので見ていて楽しい試合が多かったですね。日本の主砲として機能した筒香、先頭打者として牽引した山田、意外性を最後まで保った小林と役者が揃い、ここぞというときに点が入った時には感動させられましたね。巨人ファンの私としては坂本も好調だったので湿った巨人打線を活性化させてほしいと願うばかりです。



敗戦投手となってしまったものの千賀は大会中安定感抜群の投手でしたし、運命の無情さを嘆くしかないです。彼のフォークは世界でも通用したのですから。予選からほぼ毎回マウンドに上がった牧田は本当にお疲れさまでしたねと声をかけてあげたい気持ちです。イスラエル戦での内容は疲労の蓄積と思いたいですが、シーズンに悪影響が生じないように…と感じました。



決勝はプエルトリコとアメリカの試合となりました。両チームとも第一線で活躍する能力者ばかり揃っています。結果はベースボールの母国、アメリカの初優勝となりました。じわりじわりと追加点をあげ、ダメ押しのまたダメ押しで勝負ありという印象でした。次回大会は連覇がかかるわけだから当然、4年後も最高のメンバーが揃うはずだと期待してます。



盛り上がった大会であった一方、まだまだ野球はサッカーのように世界規模と言えません。出場16か国の多くが環太平洋地域だし、最初の予選を含めても28か国とまだまだ発展途上の競技です。大健闘を示したイスラエルユダヤ系アメリカ人主体のチームでしたし、その国や地域での定着が今後の課題でしょう。欧州での広がりや近隣で言えば東南アジアでの野球認知が高まればいいなと考えます。



戦いを終え、今度は各チームに戻ってのリーグ戦が始まります。国外の野球人気向上も重要ですが、あの熱戦を見て国内でも野球、面白いねと感じた人がいると嬉しいですね。WBCが最初のきっかけとしてプロ野球ファンになってくれる人が増えてほしいです。(地上波ではそんなにやってないけど)BSやCSでは毎日放送してるのでぜひ贔屓チームを見つけてほしいし、球場にも足を運んでほしいです!

嘘が嘘を招く(後編)

前編では『盛る』面接がこれまでの「感情の嘘」から「経験や性格の嘘」に変貌していると指摘しました。また後者の嘘は各個人の生まれ持った性質や能力を偽るため悪質で、企業と学生の双方に不利益をもたらすのではないかと考えました。そしてこうした面接における嘘の氾濫の根幹にはエントリーシート(ES)があるとし、ESを改善することがまず必要だと提起しました。
suishieinobekkan.hatenablog.jp

こうした私の考えを踏まえて、皆さんはどう考えているのかTwitterのアンケート機能を利用して尋ねてみました。結果は以下の通りです。
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この結果を見るに、一定の修正が必要という声が多いことが分かりました。私もこの選択肢を作った上でどれを一番支持するか考えましたが、私は「短答方式」を選びました。ESを目の敵にしているから「廃止」だろ!と思う人もいるでしょうが、ESの人柄や人格を知るという元々の目的には賛成だからです。学歴だけを問うなら面接は不要だし、志望理由だけでは差は現れにくいと考えたからです。



短答方式を推した理由は2点あります。それは字数制限で嘘の要素を抑止し、最低限の言葉でアピールを課すことができること、そして面接での『盛り』に対する厳しい質問が可能になると考えたからです。短答方式で想定した文字数は30字程度です。



字数を減らすことは嘘を書く隙を許しません。何百字も求めるからありもしない嘘を跋扈させるのではないでしょうか?「○年間飲食店でのアルバイトを頑張った」だけで18文字です。売上げが~バイトリーダーが~と心にもない嘘エピソードを入れるのは困難でしょう。わずかな字数でアピールさせるわけですから、簡潔さと具体性の両立という点で単に楽をさせたいのではないと断言できます。



それでも「飲食店でバイトリーダーを努め、マニュアルの改善を行った。」などと偽る人はいるはずです。ESで文字を書いておけば、想定問答集を作ったり、質問を誘導させたりと用意周到な「脚本」を作れるでしょうが記述を抑えた分、喋りの重要性が増します。「君にそんな権限はあったの?」「どこをどう変えたの?」「変えてみて改善された部分はどこ?」などを急に答えられるでしょうか?



咄嗟の質問にそれでも対応できる人がいたら、もうそれはお手上げですが普通の学生には無理でしょう。表面的な喋りのできる自称コミュ力学生には備わってない力ですから。また文字だけでは伝わらない目線や動揺も把握できるのでなおいいはずです。そして面接での自己表現の重要性が増す分、明るいキャラ、コミュ力キャラを無理強いさせることのない負荷のかからない面接になるはずです。




一方で私はなんとしても入社したいという熱意を示す嘘まで否定してません。嘘偽りなくとやるのが正しいとも言ってません。ただありもしない実績や経験を語る人が得をする社会に違和感を覚え、見過ごす前に一度解決のために動こうよと思うからです。そんなによく出来た人ばかり日本にいるならこんなに経済は長らく低迷していないはずですが、多くの人はふつーうの人間です。



もちろん、まだ我々はES導入以来何の設問に変化のない「いい子コンテスト」に参加せざるを得ません。しかしいつの日か人事の裁量を任された時、あの時感じたバカバカしさを原動力に改めてみませんか?自分がやらされたのだからお前らもやれの精神はみんなを不幸に貶める悪循環の始まりです。この提言をもってこの話は終了といたします!

嘘が嘘を招く(前編)

先日Twitterで紹介した「就活でどこまで盛る?」に関する記事は反響が大きかったです。皆さんもやはり嘘つき事情に関心があるのかと思いました。この記事を引用した人々の中に「嘘ついてなんぼ」や「そんなの昔からあったもの」と概ね肯定する感想が多かったようです。また「嘘は得意じゃないけどそうするしかない」と消極的な追認もありました。



「第一志望です」や「御社の○○という理念や方針に感銘を受けました」という気持ちにかかわる「盛り」は昔からあったという意見は確かに事実でしょう。しかしこれは部分的正解にすぎず、近年の嘘はそこが問題ではないはず。つまり「感情の嘘」でなく「経験や性格の嘘」が蔓延していることが問題なのです。



「会社に入れば嘘もあるのだからこんなの当然」と正当化する人もいましたが、商品の実績や性能を偽る人や企業はいないはずです。相手を持ち上げたり、熱意を表したり、せいぜい弱味を自分から言わない程度でしょう。客はいい気分になる、自分は利益を得る優しい嘘とごまかせるでしょうが、昨今の就活生の嘘は誰にも心地よさや利益をもたらしません。



小遣い稼ぎのバイトが売上げアップになる、自治会でやった地域のゴミ拾いがボランティア団体所属になる、寡黙なのにお喋りキャラになる、参謀キャラが指導者キャラになるなど…これでは方便どころか虚偽、捏造、でっち上げでしょう。たかがバイトで売上げを伸ばせるほど経営は簡単でないし、船頭ばかりいる社会が有史以来どこにあったでしょうか。



Twitterで紹介した記事は「盛り」の主戦場を面接にしてましたが、こんな「盛り」否「捏造」が蔓延したのはやはりエントリーシート(ES)が普及したからでしょう。個人的にESが嫌いということもありますが、記事にある「盛り」面接はESの内容を踏まえて展開される以上、ESの抱える問題点や改善の余地を指摘しない限り捏造合戦は解消されないでしょう。



ESは相互の不一致を減らすため普及したにもかかわらず捏造合戦となってしまっては本末転倒です。例えば、入社してからも指導者キャラを演じるのは苦痛ですし、将来の幹部として採用したにもかかわらず実際は違ってたら企業も不幸でしょう。感情なんてものは変化しますし、気持ちなんてものは秋の空と一緒です。しかし気質はそう簡単に変化しません。



今、会社の根幹を担うのはせいぜい意欲や志望理由を盛った「感情の嘘」世代ですが、これからは「経験や性格の嘘」世代が台頭することでしょう。そんな彼らが主軸となったとき何が起こるか…ごまかすことに長け、表面的なお喋りをコミュ力だと過信して、責任は先送りにする自称リーダーばかり…こんな最悪な未来が幸せや希望と言えるでしょうか。



志願者の個性を求めたにもかかわらず「画一化された」スゴいエピソードが乱立し、人柄を知るために創意工夫を求めたにもかかわらず「マニュアル化された」単なる作文が乱立し、幅広い人材を求めたにもかかわらず「キャラづけされた」いい子ばかりが乱立した現状を解決するにはどうすればいいのか?これは後半に続けることにします。