水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。

巨人戦の視聴率

プロ野球の人気形成には様々な要素があるでしょうが、その一角を担うのが野球中継だと思います。近年では地上波中継は激減し、変わりにBSやCS放送が台頭、そして最近はネット配信も充実しています。コンテンツの多角化と幅広い発信力の強化に努めているのが現況だと思います。

 

 

巨人一極集中は過去のものとなり、地上波を基軸とする放映体系からも転換したというのが結論でしょう。これまで私は地上波での野球の露出激減がプロ野球人気の弱体化を招くと常々憂慮してましたが、案外そうでもないのかもしれないと思いました。

 

 

 

しかしそれでも巨人のファン層の広さや全国的人気はまだ続くことでしょう。これまでの野球中継=巨人戦という貯金や世界最大部数の新聞社という金持ち親会社を持ち、充実した放送網という強みも持つ球団は巨人しかありませんからね。それもまたヒール役を演じるゆえんでもあります。

 

 

だからこそ巨人戦の視聴率はある種の人気を問う指数でもあり、開幕戦での視聴率はその年一年の視聴率を占う大事な数字かと思います。そして発表されたのがこの結果であります。

headlines.yahoo.co.jp

これを高いと思うか、低いと思うか…個人的には今の巨人の実力ならこんなもんでしょうという感想です。「二桁維持できてよかったね」と…

 

※過去10年間の平均視聴率はこちら

※すべて19時からの数字

H20 11.0%

H21 13.3%

H22 11.3%

H23 11.8%

H24 11.8%

H25 13.0%

H26 10.0%

H27 10.2%

H28 10.4%

H29 10.7%(今年)

 

開幕戦では二桁達成ですが、その後の地上波巨人戦では続かないんですよね…たとえ巨人優位のまま終了した放送でも7~8%なことが多いのが開幕戦以外の地上波巨人戦の現状です。ゴールデン帯で望まれる最低限の数字10%も取れない、にもかかわらず放映権や資機材でお金がかかる番組が減らされるのも仕方ないことでしょう。

 

 

どうしても巨人戦を見たい人は最低でもBSを見られる環境を作るしかありません。BSと数少ない地上波を合わせればほとんどの試合を楽しめますからね。もしくはネット配信サイトに契約するしかないです。タダで楽しめるテレビでの野球観戦という趣味もお金がかかる時代になったと寂しさを感じながらこの記事を終えます。

どうなる大学無償化

このブログでは初めてとなるより硬派な政治的な記事となるでしょう。安全保障や経済について取り上げるのも一つの案でしたが、読者層が学生だろうということで身近な話題を扱うことにして、皆さんにも考えていただけたらなと思っています。ずはり今回のテーマは大学教育とお金の話です。そしてその中心となるのは大学無償化の話です。



結論から言うと、私は大学無償化に部分的賛成です。つまり、実施するなら国公立大進学者限定の授業料無償化にすべきでしょうと考えています。なぜ国公立大進学者だけなのか、そしてなぜ一律無償化に反対なのか。それは一つに財源がなく、二つに無償化の価値がない私立大学が多く、三つに家庭の教育費増になるという3つの理由が考えられるからです。



まず「財源がない」です。ここ数年歳入は増加してますが、国民の健康にかかわる社会保障費や国民の生命、財産にかかわる防衛費増を優先せざるを得ません。そんな中、新規に予算措置を講じる余裕はなく、全大学の授業料無償化で約3.1兆円と言われています。なお国公立大に限定すれば約4千億円必要ですが、国が国民に高度な教育を提供するという観点から考えるとこれが現実的な最大限の支出額でしょう。



2つ目は「無償化の価値」です。大学進学率は半分を超えた我が国ですが、これは単なるモラトリアムの延長の場と化した高等教育としての資質が疑われる私大が増えたことの証拠ではないでしょうか。中高の英語や数学の復習レベルの講義を受ける学生に税金を費やす価値が果たしてあるのか…薄っぺらい学士号獲得に付き合う余裕はありません。



3つ目は「家庭の教育費増」です。無償化は経済的理由からの進学断念を解消することが目的の一つです。しかしその分多くの家庭が受験に参戦することになります。高所得層は容易に教育費を積んで今度は大学の「質」を上げられるでしょうが、低所得層はたとえ経済的問題から解放されてもこれでは太刀打ちできません。そして中間層は受験戦争勝利のための戦費増に疲弊してしまうでしょう。



無償化で安くなるどころか高校いやそれ以前からの教育費の支出に追われては元も子もありません。タダと思いきや実は負担の順序を組み替えただけという滑稽な話になっては意味がありません。仮に国公立だけ無償化となれば1つ目、2つ目の問題は解決するでしょうし、最後の問題はそれでも確かに起きるでしょうが、一律無償化に比べれば世間の許容範囲内で影響を抑えられると見ています。



私大進学者は自己負担でと感じるのはやはりいわゆるFラン大学が多いからでしょう。国が偏差値という曖昧な基準で足切りをするわけにはいきませんから、運営実態の審査を厳密にするしかないです。そして年間約3千億円の私学助成の分配額も再検討すべきでしょう。浮いた分を難関私大進学者向けの奨学金に充てるのも一つの案でしょう。



大学無償化議論は主義主張をこえて納得できるはずのテーマです。予算根拠と対象校の選別さえ決まれば一定の議論を経て実現すると期待しています。「私の頃は苦労しながらも~」という個人的経験談から反対する人もいるでしょうが時代が違います、物価も学費も違う以上ナンセンスです。新入生が大学に入る季節を前に私はこのように感じました。

黒ずくめの就活生たち

説明会でいい子のふりして心中、上の空な水師営です。外向きの態度を自ら取ることはこれまでの人生でよくありましたが、他人が望む「いい子像」を演じるのは大変疲れるなと改めて感じます。そんな気持ちは他の子も共通のものかと周囲を見渡すと、意外にも皆さん健気に努力オーラを持続させ、信じられないメモの量と、キラキラした目をしています。



それは性格や価値観の違いなので問題ではないのですが、一つ気になって仕方ないことがあります。それは男女問わず皆、黒づくめであることです。どうしてこんなに真っ黒なのか、どうして何ら違和感を覚えないのかと疑問ばかり噴出します。赤の他人に「なんでそんなに真っ黒なの?」と聞くわけにいかないので、いつも心の中でそう感じています。



我々の親世代の場合、男は紺スーツがメインで、女は様々な色や柄のワンピースが多かったと聞きます。しかし今や男女問わず真っ黒です。こうなったのは不景気で暗色が流行した結果だの、喪服にも使えて汎用性が高いだの、売れない黒スーツを就活用にした紳士服屋の陰謀論だの種々理由が挙げられますが、根拠のある、説得力のある理由ではありません。



社会人の世界では灰色や紺色が基本ですし、黒色でも光沢があったり、やや灰色がかったものが殆どです。従って黒色以外のスーツを着ることは悪目立ちでも個性の履き違えでもなんでもないと考えますが、皆さんはどう考えますか?墨汁をぶちまけたかのような黒さ、生地の廉価さがスーツの酷さに拍車をかけており、これは異質だとつくづく感じます。



因みに私はダークグレーのスーツを買いました。お店で見たより黒っぽいのが少し残念でしたが、他の学生と比べると色も生地も違うとそれでも思います。スーツのみならず鞄も外套も黒、しまいにはネクタイも黒色系の子がおり、本当に葬式帰りかと感じます。ため息がでるけど、やらないといけないこのシューカツ制度が黒色を強いるのでしょうか…



なぜ黒ずくめになったのか…「個性や人格を消したい」学生が増えたからではないでしょうか?企業は「挑戦!変革!」と改革志向の人物を望み、美辞麗句を並べる一方、同質的人物をより望む現状に適応するにはこうするしかないのかなと思います。出る杭は打たれるどころか、出る杭は排除される今日ならではの対応なのかもしれません。



ただ個性や人格を消す手段として真っ黒スーツは適当なのか?仮に消すにしてもそれは合理的なのか学生側は考える必要があるし、企業側も学生を不気味と言う前に真っ黒スーツは止めよと滑稽な「強制」でもしない限り、今後も真っ黒就活生は跋扈するのだろうと見ています。スーツ7点セットに頼らない人が増えればいいなと私は切実に思います。

豪壮!アーチで決めた巨人・開幕シリーズ

昨年に続き、開幕シリーズを3連勝で終えた巨人。3年ぶりのリーグ優勝は当然でしょとの上層部からの圧力とファンの希望を双肩に乗せた由伸ジャイアンツ2年目は幸先のいいスタートを切れたと思います。



何よりもチームの柱として機能する阿部の好調ぶりが顕著な3連戦でした。開幕戦での先制アーチ、土曜日の「サヨナラ慎ちゃん」の起死回生の3ランアーチとオープン戦での不安を払拭する活躍を見せてくれました。



そして今季のスローガン「新成」に相応しく若手、中堅が目立つ起用でした。中井や立岡、岡本という激戦区の二塁や外野を勝ち取った彼らはその典型例です。しかし激戦区ゆえに定位置奪取とは言えず競争の日々でしょう。この好機をものにして定着を期待したいところです。



昨季の課題だった中継ぎ陣はかなり整備されたかと思います。FA補強の森福、信頼のセットアッパーマシソンに加え新人二人が中継ぎとして登録されています。抑えのカミネロがどこまで活躍するのかは未知数ですが、速球中心でねじ伏せる投球を期待したいです。



投打の期待要素をここまで述べましたが不安もあります。補強組の存在です。山口俊にあれだけの額を積む価値はあったのか、そして好不調の激しさは気がかりです。陽岱鋼は5年契約に見合う活躍ができるのか、早速の負傷で暗雲が垂れ込めています。



また、2位に終わった昨季は世代交代の必要性を痛感した年でした。いつまでも阿部や村田、亀井、内海の年長選手に頼れない、長野や山口、大竹は曲がり角を迎えつつある、代打脇谷では物足りない、ギャレットやクルーズでは根本的解決にならないという現実を突きつけられた方は多いはずです。



どこかのグループではないけど、黄金期を担った選手とのサヨナラは徐々に近づいてるように感じます。ずっと応援してきた彼らの引退を予期すると悲しいですが、若手の台頭なくして「新成」の達成はありません。転換期を迎える巨人がどう戦うか注目の一年です。

見なかった月9ドラマ

1月期のドラマも終わり、しばらくは特番の連続という日々になりましたね。私は4作ドラマを見ましたが、どれも最後まで楽しむことができました。しかし1つ、初回で断念した作品があります。それは月9の『突然ですが、明日結婚します』でした。この断念した作品は月9史上最悪の視聴率を叩き出し、平均もワーストでした。しかし何がダメだったのか色々分かってたはずです…



一つにあまりにも脆弱なキャストだったことでしょう。噂では視聴率の悪い月9に出ることを拒否した役者さんが連発し、なんとか合意に至ったのが西内まりやさんだったとか…彼女はモデルやCM、歌と多方面で活躍してるとはいえ、全体的に月9らしい華々しさが弱かったのは事実でしょう。演者ありきのドラマも批判されがちとはいえ、今回は始まりから負け戦オーラが強かったです。



そしてお話の浮世離れというか共感のしずらさも大きかったと思います。主人公は総合職として入社したにもかかわらず、突然専業主婦になると宣言するあたりに興ざめ感を覚えずにはいられませんでした。確かに専業主婦に憧れる20代女性は多いようですが、お金がない若者にあふれるこのご時世、非現実的すぎる設定に幅広い共感、すなわち話題のドラマとなるのは厳しかったのでしょう。



あり得ない設定と言えば『逃げ恥』はどうなんだという反論もあるでしょうが、キャリアウーマンの悲哀や就職難、性差、働き方などという問題提起が含まれてた点で『突然ですが~』と大きく違ったと思います。20代で専業主婦を希望する女性が仮に周囲にいたら、男から見ててもやはり地雷臭を感じます。もう「男は外で働き、女は家を守る」という価値観は過ぎ去った概念ですからね…



キャストの弱さ、視聴者に共感されないこの2点は低視聴率ドラマに共通する残念なことでしょうが、個人的にはもう1点、ああ無理と思った点がありましたね(笑)それはこれでもかっ!と押しつけてくるリア充感です。これは僻みなんで分析でもなんでもありません。コネ入社の金持ち坊っちゃんや美男美女ばっかりの職場、会社を離れてもみんなで遊んだりと消化不良を起こす設定でした…



理想と現実の間で脚本を仕上げることは難しいとは思っています。しかし旧時代的な価値観とこんなドラマ作っておけば女は喜ぶだろうという浅さがあのキャストでは覆い尽くすことができなかったと思います。月9は恋愛ものという固定観念から離れ色々挑戦してみるのも必要ではないでしょうか。これは低視聴率にあえぐフジテレビ全体にも言える話だと思います。