水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。

真っ黒な就活生

ある脳科学者のツイート

就職活動も終わり自堕落な生活に戻ったとつくづく感じております。ダラダラしよう、読書しよう、バイトしてお金稼ごうなどあれこれ考えていたなかで、とあるツイートを見かけました。そのツイートやそれへの反応についてはネットで検索してください。私はおっしゃる通りだと思う一方「日頃の行い」が悪いから叩かれているのだろうなと感じました。


私もあの就活生お約束の「全身真っ黒コーデ」にはやはり違和感があると思います。だからといって脳科学者の彼のように日本が終わったとは思わないし「終わった」と言うより、これから「始めよう」と呼びかけるべきです。彼の絶望的な人徳のなさゆえに議論がズレたり、議論が成立しなくなったりしたのは本当に残念としか言えません…


人事はスーツの色なんて見ていない

就活本や就職サイトは真っ黒で構成された身なりを推奨します。これこそ「正しい」就活生なんだと説きます。しかし実際に説明会や面接に行った身として「真っ黒」であることは面接の得点にも失点にもならないし、灰色を着ようが紺色を着ようがそれも得点にも失点にもならないと感じました。


むしろ寝癖は直してきたか、肩のフケやゴミを払っているのか、スーツの襟は正されているのかなど就活に限定されない観点ができているかを見ているようでした。就活でメシを食う業界は黒がいいと言っても、それは果たして正解なのか学生側が疑う姿勢も必要ですし、真っ黒であるかないかより総合的な「見た目」(これは顔の美醜を意味しない)に気を使える人間を目指すべきでしょう。


ズレた反論、その1

あの脳科学者の「全員真っ黒なのはおかしい!異質!」という趣旨に反論するなかに「じゃあ学生は私服で行けというのか?」という主張がありました。しかしこれは論理のすり替えでしょう。真っ黒スーツが強いられる雰囲気が問題なのであり、誰も面接にスーツで行くことを問題にはしていません。


つまり灰色を着る学生や紺色や青色を着る学生がいていいし、選択肢の一つとして黒色のスーツを着る学生もいる社会であるべきという意味でしょう。私自身は生地や作りの安いリクルートスーツが嫌だったため、ダークグレーの少し値の張るスーツを買ってもらいましたが、親や街行く社会人を見習って自分の好みや体型に合ったスーツを選ぶことも社会人への第一歩として始めるべきと思います。

ズレた反論、その2

外見に違いがないことを理由に「就活生は見た目ではなく中身で勝負している」という声もありました。これはなるほどと思った反面、実際にやってみた身としては浅い考えと思いました。なぜなら多くの就活生は「外見も中身も偽った、演者ばかり」だからです。高須院長の反論にもあるように「企業が求めている人材を演じている」に過ぎないのだから中身で勝負する人はそういません。


就活本を立ち読みすれば「今どき」の就活生の原型と言える姿があるはずです。バイトで売上アップ、学生団体のリーダー、カンボジアで井戸掘りなど多少違いはあれどもどこかで聞いたことある「美談」の元ネタが見つかるはずです。一方で差別化を図るのが大事だとも言い、そのために皆がリーダーになるという「無個性な『個性的』エピソード」ばかり増えたという奇妙な時代を迎えています。

就活が無難化した時代だから

景気が低迷し採用枠が縮む一方で、大学の数は増え、就活サイトの誕生で応募人数が増えた結果、ここ20年で内定競争は激化しました。その過程にて受かりやすい見た目や人物像という概念が徐々に収斂されてきたと思います。その中で本当は「どうでもいい」スーツの色まで収斂の対象になったのが今の不思議な真っ黒スーツの原因かと思います。


一度収斂された概念からはみ出るのは困難なことです。しかし一度、勇気を持って離れれば「何てことなかった」と思えるはず。社会人になって使い物にならない安物リクルートスーツを買うより、長持ちする自分に合ったものを買う方が経済的でもあります。「どうでもいい」ところでの無難の競い合いをしても意味がないのだから黒以外でも大丈夫です。


もちろん「真っ黒で結構」という学生もいるでしょうし、私のように「僕(私)は嫌だ」という学生もいるでしょう。だからこそ後者の学生には「無理して真っ黒に従う必要はない」と声をかけてあげたいです。

憲法記念日を終えて

いつもの祝日、いつものダラダラ

9連休いや、履修のない全休の日も含めると11連休となった私のゴールデンウィーク後半戦の昨日は「憲法記念日」でした。また憲法施行70周年ということもあり、新聞やテレビそして一部の人々は熱くなれた日だったことでしょう。一方、私は新聞に目を凝らしたり、ニュースを見てぼやいたり、何かの集会に参加したりすることももちろんなく、ひたすら野球を見て過ごした一日でした。


私自身は間違いなく改憲派の一人であるので、憲法を「平和の守護者」あるいは「日本の宝」のごとく扱う人々とは価値観は合わないと思っています。とはいえ憲法を「ゴミ屑」あるいは「諸悪の根元」のごとく見なす人々とも一緒にしてほしくないとも思っています。国家の最高法規、国家の基本法なのが憲法なんだという認識のもと祝日になった意味を少し考えました。


これまでとこれから

新聞各紙の質問文のニュアンスの差はあれども、これまでの憲法の果たした役割を評価する世論が多数派でした。(日米安保とセットとはいえ)軽武装、経済重視路線が戦後の発展を支えたことは言うまでもなく、国民の権利擁護を謳う現行憲法が戦前の教訓を踏まえた構成になったことは民主国家としての再出発を支えた功績の一つです。


しかし「これまで」が良かったからといって「これから」も良いと言えるでしょうか?世の中には当然に思われた「安全や安泰」が突然崩れることはありますからね。これまでの功績を理由に護憲を主張されても、それでは反論にならないと思います。戦後の国際事情や幸運という憲法以外の要素もあっての現在ですから、憲法に期待や希望を抱き過ぎな一部の人々と私は理解できないでしょう。


本丸はやはり憲法9条

冷戦は終結し、国際秩序は変化し、非国家の武装集団の脅威、近隣国の不透明な軍事的台頭と制定時には想定していない状況を迎えています。その典型例は「北朝鮮の核・ミサイル開発」でしょう。こうした日本を取り巻く環境を踏まえるとやはり「憲法9条」が改憲の本丸であると考えます。あれやこれやと改憲テーマを唱える人もいますが道草を食ってるだけにしか見えません。


下心を上っ面の言葉と表情で隠すより、率直に意志を国民に提示し、考えてもらうことが急がば回れで一番の改憲への近道でしょう。改憲を口にすれば叩かれる時代ではないし、新聞が物を言えば国民がなびく時代でもありません。曲芸的な憲法解釈と飴細工のごとき安保法体系を克服するために「自衛隊」の存在を明記させるべきです。またそれに応じて第2項を一部修正する必要もあります。


遠回りな改憲論議

国際事情、そして憲法に規定されてないのに存在する自衛隊の役割の重要性、これらを理由にこれからの日本を憲法で描こうと訴えれば改憲の気風は高まるはずです。それでもダメならそれまでと悟るべきですが、行動に移すは今だと思います。しかし改憲派の中にはどうやら上記2点以外の理由に拘泥している人もいるようでなかなか厄介に見えます。


例えば米国に憲法を押しつけられたとする「押しつけ憲法論」は護憲派への「鴨ネギ」でしかありません。制定直後の提起なら意味はあったでしょうが、制定時の疑義とは別にそれ自体に「価値の意味」がついた戦後72年にこれを振りかざしても無意味でしょう。また、たまに見かける「帝国憲法復活」という主張が国民の過半数の心を引き付けるとも思えません。


「9条にノーベル平和賞を!」という人と話し合ったとしても、おそらく互いに演説合戦になるだけで無駄でしょう。今後大事なのは何も考えてない層、どっちつかずな層の心を掴むことです。一番多いこの層に誠実に向き合えた陣営が最後に勝利を収められるでしょう。だからこそ改憲派は(もちろん護憲派であっても)身内のノリや自己満足ではない論理をよく練るよう強く私は望みます。

マギーと村田

勝負強いマギーの打撃

オープン戦からどちらがレギュラーを獲得するかで話題になっていた巨人の三塁手争いはご存知の通り、マギーが勝ち取りました。これまでの正三塁手だった村田は控えに…オープン戦での不振に不安を感じる人は多数いたものの、開幕して以降いい意味で予想を裏切る安定的な活躍を見せてます。特に得点圏打率の高さは特筆すべき点と言えますね。


4月20日の試合前時点でのマギーの得点圏打率は.435と全体5位の頼もしい数字です。今季の大型補強で唯一当たりと言えるのは彼だけかもしれません。3番、4番の好調さが目立つが、クリーンアップの一角を担う彼もまたチームの打力向上の貢献者として評価されるべきは言うまでもありません。


去年の功労者でも控え

しかしこの活躍に安堵を覚えつつも、複雑な気持ちを抱く人もいるでしょう。そう村田の控えです。試合に出るのはいつも代打で、結果を残すも、マギーも結果を残しているからレギュラーの交代にはつながらない…昨季全試合に出場し.302 25本 85点という申し分ない成績を残してもレギュラーが確約されない厳しい世界だと改めて感じさせられます。


一塁には長年の貢献者である阿部が地盤を固め、あの大活躍から到底交代なんてあり得ません。もちろん代打に村田がいるという相手チームへの圧迫感は大きいけど、彼はまだまだ代打役に甘んじるほど身体は衰えていないし、精神に諦めが生じているとは言えない状況なのだから厳しい境遇ですね。


驚きのセカンドマギー

ベンチ村田の解決策になり得る、対広島戦の二塁マギーで、三塁村田、そして中井は外野という場面がありました。これには球場も騒然としましたが、残念ながらこれは一時的なもので今後、継続することはないでしょう。中井、立岡のセンターラインは維持したいだろうし、若手起用の方針で重信や岡本、石川を競争させたいから。加えて守備力の大幅な低下は間違いないですね。


夢の超重量級打線には見えるけど、守りに穴が大きいのは近年の野球は好ましくないです。2月時点でこんな記事は確かにあったけど、やはり打力がどうにもこうにもならない有事の作戦に見えます。幸いにも今の打線で機能している以上現実的には見えません。
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腐らず頑張れ村田

したがって当面ベンチスタートで途中出場が続く様子は変わらないはず。本人は当然悔しいだろうし、巨人ファンも厳しい世界の戦いの結果だと認識しています。やる気をなくして、いい加減な練習やプレーになることはないだろうから、とにかく与えられた場面で結果を残して愚直にアピールするしかないでしょう。


またマギーも阿部もベテランであるから不測の事態が起きるかもしれません。その時に万全の状態で村田が出場することは巨人の強みであろうし、他球団には脅威となるはず。とにかく「腐らず頑張れ」という言葉しかありません。これからも村田のアーチを見たい、そう応援するファンはたくさんいるから頑張ってほしいです。

北朝鮮のミサイルと核

抑制を知らぬ北の強硬路線

北のミサイル開発路線はためらいを知らない。経済制裁もどこ吹く風、中国の後ろ楯は消えないだろうという安堵感が暴走を加速させているのだろうか。トランプ大統領は空母派遣と言葉による強い圧力をかけ続ける…この決断を私は支持するけど、堅忍持久はもはや限界、お遊びの代償を払う時は近いのかもしれない。


あるニュース番組では今さら話し合いを主張しました。その主張をお膳立てする『街の声』の白々しさも含め、もうそんなフェーズにはないことは彼の国を見れば分かるでしょう。話し合いができたなら「6か国協議」で核問題は何らかの答えが出ただろうし、中国の意図を早くから察知して自制したはずです。しかしいずれも実現しない現実から圧力は合理的選択でしょう。


アメリカの厳しい姿勢

アメリカの空母派遣と先制攻撃の示唆をトランプ大統領だからという考えもあるがそれは違うはず。敵対国周辺に空母を展開するのは過去にもあったことだし、共和党民主党もこの選択に大きな違いは見えません。慎重な政策討議は必要だが、アメリカで今さら「話し合い」がどうのこうのと夢想する政治家はいないのでは?とも思います。


もちろん北朝鮮が先制攻撃をする可能性は低いです。攻撃すれば平壌は火の海であり、体制は灰となることは狂気に満ちた彼ですら分かっているからです。しかし北朝鮮の「まあ大丈夫だろう」と、アメリカの「これはデットライン以上」という認識の僅かな差が起こることは否定できません。同盟国もいる手前、より東アジアに関与していくことは間違いないです。


無力さを覚える日本

アメリカは単に好戦的になるほど愚かではないし、北朝鮮の実験失敗は緊張の小休止の兆しなのかもしれません。一方、ミサイルの脅威にさらされ続ける日本はどうかでしょうか。「何もしようにない」というのが正直な気持ちですね。核やミサイルの前に対話は無力であると悟る反面、力づくで抑える手段は持ち合わせていないのが今の日本です。


アメリカを支持すれば「対米追従」と叫ぶ一方、独自の軍事力保持も否定する「何でも反対さん」にはうんざりなものの、ここで日本が取るべきベターな選択は何だと皆さんは考えますか?答えなき政治には私も悩みますが、核実験や秩序を乱す行動は許さん、経済制裁は強化、カードをたくさん持つ米韓と協力というこの姿勢を貫くしかないでしょう。


ミサイルにどう立ち向かうべきか

かつてない経験にしたり顔で「いたずらに脅威を煽るな」だの「アメリカの軍事的選択は問題」だの模範的回答もよく聞きます。しかし現に中世時代劇のような家族間の憎悪や、第2次大戦時のような軍事一辺倒、そして冷戦下の社会主義国家のままの異質な独裁国家を脅威と思わずしてどうするか?と私は考えます。


今、使えるカードはないけど、これから使えるカードの増強は急務です。迎撃能力の強化はもちろん、敵基地攻撃能力の保持も一つの案でしょう。安全保障は「国防・外交・情報の正三角形」が取れてこそ機能すると考えます。「話し合い」という呑気な別次元の点に惑わされず政府にはこれからに向けて行動してもらいたいですね。

手書きエントリーシートの意味

相互に利益のあるウェブ提出

エントリーシート提出真っ只中の水師営です。この業種ならどこでもいいやと思いながら「御社しか!」という志望動機を作ったり、人生の結果論から強引に導いた「偽りの人物像」を臆面もなく書いたりしています。またこれから続出するはずの「お祈り」への覚悟はできています…


そんなエントリーシートも近年はパソコンで書ける時代です。ウェブ提出してから助詞の使い方や学歴欄などのタイプミスに後から気づいて『やっちまったな…』ということがあったのはここだけの話ですが、ウェブ提出型は時間的にも精神的にも学生に利点が多いです。企業も情報管理面で利便性向上につながったことでしょう。


それでも存在する手書き

そんな時代なのに自筆を要求する企業はまだ多いこと…ITの発展は生活を一変させました。IoTとかビックデータとかクラウドとかネット用語の氾濫する時代なのに手書きです。陋習を破り、文明の長を取ることを進歩というなら「手書きエントリーシート」は守旧派イデオロギーという言葉がお似合いです。


ある企業は手書きをPDFにするよう要求しました。PDFにするなら最初からウェブにしてよ!と叫びたくなります。また手書きは心がこもるという指摘もありますが、嘘ばかりのシューカツに『何を綺麗事を』とも言いたいです。コピペを防ぐという意見もまた、実際のところテンプレの転記になるだけで広義のコピペであることには変わりません。


おっさんは手書き好き?

結局のところ手書きが存在する合理的理由は見当たりません。単に昔からそうだったという「ことなかれ主義」や気持ちが伝わるという「精神論」の賜物なのでしょう。特にエントリーシートもグループディスカッションも何もなく入社したオジサマ世代のご意向でしょう。論理の前に権力を備えた感情は普通勝てないものです…


彼らは「自分らも手書きだった」と言うでしょうが、彼らの手書きはせいぜい履歴書と志望理由だけ。気色悪い自分語りも大喜利じみた設問もありません。あのおじさんたちは絶対書けないでしょう。手間をかけさせると人柄が伝わる…字の上手い下手は性格とは別な要素ですし、字で性格が分かるなら占い師として生きていけばいいのにと思います。


手書きがあり続ける根本的問題?

ことなかれ主義も精神論も彼らがいなくなれば解決するので時間の問題でしょう。今の40代後半以降が引退すればウェブ提出は強まるはずですが、ゼロにはならないでしょう。手書きエントリーシートがある最大の理由は「採用志願者の削減」です。学生の手間というより企業の手間の問題です。


就職サイトのおかげで企業との出会いの場は格段に増えた一方、志願者も増えました。私のように何となくポチった人や人気企業という理由、そしてFランク大学生の応募も増えました。排除のための手書きという反論はやや説得力があります。それなら就活サイトに登録しないか、学歴フィルターをフル活用すればいいのにとも思いますが…


手書きエントリーシートもう一つの問題

手書きの面倒臭さや無駄な精神論も乗り越えるしかないのが現状ですが「封筒と切手代」という問題も嘆きたいです。切手は120円もかかります。これが複数もかかると結構な負担です。ただでさえ交通費、食費などがかかるのに手痛い出費です。手間と熱意を我々に求めるのなら、封筒と郵送料くらいは負担してほしいものです。


料金後納や料金受取人払などの制度がありますし、これなら本当に手書き提出する気のある人が提出する制度は一応維持されるはずです。費用という反論もあるでしょうが、出し惜しみするなと感じます。もちろん手書きは熱意があるとは思えませんし、偽りと欺瞞に満ちたものだと思っています。我々の世代で手書きエントリーシートを滅ぼすしかないのかな。