水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。

民進党に思うこと

安易な起用案が招いた惨禍

一時は幹事長職に内定が決まった山尾議員が不倫疑惑を受け離党届を提出したことには驚きを隠せない。政調会長を任され、若手議員の筆頭格として栄達への道を進みつつあった彼女が今やただの無所属議員になるというのはまさに一寸先は闇を体現する。しかしこの報道が無かったとしても、私は山尾氏を幹事長に起用しようとした考えは安易な発想だったように思う。


当初は「新鮮さ」や「女性登用」という意図があっただろう。しかしまだ2回生議員の彼女に党の「選挙とカネ」の采配を振るう力があったのか疑問符がつく。幹事長に求められるのは自分が脚光を浴びたり、攻撃的であったりすることではなく、候補者を照らし調整能力を発揮することだろう。与党の稲田元防衛相は典型例で、安易なウケ狙いは早々に失敗を招く最大の要因の一つである。


否定するのに離党の謎

遅かれ早かれボロが出ると思っていたがまさかこんな形で出るとはと山尾幹事長案に不満を抱いていた民進党議員も思ったに違いない。過去の自民党議員は不倫を認め、離党したが、今回の件ではそれを否定している。にもかかわらず離党表明とは不思議なものである。「疑惑によって党に迷惑をかけた」ことがその理由だがやはり不思議だ。


W不倫疑惑の当事者は弁護士と元検事である。事実無根なら週刊誌を訴え、彼らを論理的に攻めることも容易なはずであったし、いつもの威勢の良さよろしく国民に主張することも可能だったはずだ。しかしこの度はその疑惑の真偽を見ぬままあっさりと離党を決断してしまった。不誠実なままこれを認め、赤の他人の態度を決め込めば来る補選や総選挙で逆風を新執行部が被ることは必至だろう。


したことは返ってくる

そもそもプライベートな話なのだからこれを問題視すべきでないとの声もある。しかし散々テレビで自民党議員の不倫を責め、働くママの代表として活動してきただけに因果応報と言えよう。甘利氏の秘書の献金問題の時は「秘書の責任は議員の責任」と言ったにもかかわらず、自身の秘書のガソリン問題の時には「知らなかった」で難を逃れた。


またしても自分のしたことが返ってきたとしか言えないお粗末さである。攻撃ばかりに全振りして守りがこの体たらくでは前原執行部は彼女を幹事長にしなくて良かったとしか感じられない。「ブーメラン」という言葉が叫ばれて久しいが、これほど鋭く突き刺さったブーメランはいまだかつて見たことがない。


いつまで立ち直り中なのか民進党

2012年の下野以来、もう5年が経とうとしているがいつまでたっても同じことを反省しようとし、同じことを課題だと思っている成長のなさはいったいどうしたものかと呆れるばかりである。まとまりがないだの、憲法や安全保障で逃げるだの、政権交代のビジョンが見えないだの毎回言われ続けたことへの回答が示せないまま徒に時間を消化した5年は重い。


八方美人で党内では手詰まり、党外ではいつもの反対路線になった蓮舫氏とは違う手腕を発揮することが前原氏の最大の任務であったが船出早々に大破だ。都民Fに期待する離党組や予備軍に対抗する前にこの有り様である。大破した党が今後「流れ解散」になるか「修復」するかは前原代表と当事者たる山尾氏の言動にかかっている。末期的状況への安易な処方箋はない。ただ誠実であるのみだ。

小林か、宇佐見か

松本の空に輝いたアーチ

決戦の9月、必勝の9月がやってきた。その総力を結集して残り僅かのシーズンを戦い抜き、勝ち抜くことが上位浮上への唯一の途であろう。そのような決意の中、5日の試合での勝利は大きな1勝であった。あと一球で試合終了という窮地から代打宇佐見が放った打球はチームを救い、後のサヨナラアーチを演出した。


その起死回生の同点弾を放った彼への巨人ファンの感動、感嘆は想像するまでもない。プロ初本塁打がサヨナラアーチ、プロ初スタメンでも本塁打を放つという赫々たる成果を納める2年目の新星への期待はまたしても高まった。今や不足する左の大砲の後継者として育成すべきとの待望論がファンの間で強まっている。


小林との競争激化は必至か

しかし現在正捕手の座にあるのは4年目の小林である。阿部の一塁手転向以来、期待の若手として徐々に出場試合数を伸ばしてきた。しかし打率は2割前後で低迷し、見た目に反して鈍足だが、これをもって批判一辺倒になることには注意しなければならない。強肩と投手陣からの信頼感はまだまだ小林に軍配が上がる。


盗塁阻止率のみならず盗塁企画数の少なさは大きな強みである。投手陣とのコミュニケーションの充実さは彼らのヒーローインタビューでの小林への感謝の言葉の数々から理解できる。しかしこれら信頼感は継続して起用されて成立するものであり、リードもまた一軍の舞台にいてこそ上達するものであるから、現在の小林一強が約束されたわけではない。


あの打撃力はやはり魅力的

使い続けたらリードや信頼感は上達するだろうが、打撃力はそう簡単に伸びゆくものではない。やはり天性の才能や元来持つパワーやミートが基本となるものと思うと小林は次第に劣勢に立たされる可能性は否定できない。数少ない好機で結果を残し続ける宇佐見の猛追がこのまま続くかどうかは分からないが、小林自身が変革を強いられることは間違いない。


阿部の打撃力は希代の才能と水準であるから、これを普通と思って期待するのは酷だが、小林にはもう少し打率や出塁率を上げてほしいというのが私の素直な願いである。8番、9番が自動アウトではあまりにも相手チームとの差が大きい。あの阿部もまた当初はリードの未熟さを指摘されながらも、持ち前の打撃でカバーしながら着実に成長し、時代を代表する捕手になったからだ。


ライバル登場で相乗作用なるか?

小林が現時点では優位なことには変わりはないが、宇佐見の打撃力は気になるところとである。またその宇佐見の活躍が一時的なものなのか、継続的なものなのか見極める必要もある。そのためには代打宇佐見では不十分だろう。3位滑り込みを目指す非常時とはいえ打線が湿りつつある巨人に少しでも刺激を加える要素とならないかとも私は思う。


未熟な、単調なリードが露呈するかもしれないが、まさに実践的で、緊張感あるこれからの試合を経験することは価値がある。スタメン宇佐見とまでいかなくとも途中出場の時間を多めにとることは可能だろうし、単年の覚醒で終わらせるには勿体ない。このライバル登場という初めての経験は小林にとっても、チームにとっても利益があるはずだ。大いに競争してほしい。

「働き方改革」と共に「部活改革」を!

教員・生徒双方に負担のある「部活」

先日、読んだ地方紙の一面に「教員の労働時間調査」の結果が掲載されていた。詳細は忘れたが中高の教員の半数以上が一日12時間超の労働時間だと回答していた。部活動の指導が長時間労働を招いてることは言うまでもなく「部活改革」が教員に対する「働き方改革」の一丁目一番地であろう。


また教員の負担のみならず、子供たちの負担も考えなければならない。教育の一環であるはずの部活動が肝心要の勉学や家庭や友人との時間を妨げ、疲労を招くだけでは心身の成長に貢献しない。むしろその過酷さや理不尽さの蓄積が精神の退廃を生むだけでは、何のために身体を動かしたり、頭を働かせたりしているのか疑問を生じさせるだけである。


空回りの長時間部活

顧問の体罰や過酷な練習による熱中症など痛ましい事故は止まない。しかし殴られるまで、死にかけるまでやる必要はあるのかと私は感じる。試合への勝利、能力向上のため努力をすることは大事な心がけだが、全員が日本一を目標にしているわけではないし、その競技でメシを食っていくわけないのに実業団ばりの練習を課す必要性はあるのだろうか。


近年のスポーツ強豪校は猛練習と自主性や科学的知見がセットになっており、闇雲に練習をしたところでこうした学校に勝てるわけがない。盆正月も返上で、普段も遅くまで練習したにもかかわらず、長時間部活が災いして部員不足に陥り、あっさり初戦敗退して3年の夏が終わった私の妹を例に思うと、あの長時間の練習はなんだったのかと呆気に取られた。


負の価値観の再生産にならないか?

時の運、不運もあるわけだから初戦敗退は残念だったが、そうした長時間の(非効率的な)練習を経験した妹が「長時間部活を肯定する大人」として再生産されないか心配である。自分も辛い思いをしたのだから、下の世代も経験して当然と考えはしないかと危惧する。我々の親世代はまさに長時間部活、過酷な練習が当たり前だった時代に生きていたからこそ、部活問題への意識が薄いようだ…


私の母も夜遅くまでの練習を「帰宅時間が遅くなる」とは言いつつも「熱心な先生」と表現して肯定する。働き方改革に比べて部活改革への関心が薄いのは、労働は現在進行形で自分達の利害に関わるが、部活は子供のこととはいえ所詮他人事であり、価値の判断基準が自分達の中高生時代のまま動かないからだろう。


働き方改革と部活改革の相乗効果へ

とはいえこの状況を放置するわけにはいかない。教員の負担軽減、子供たちの負担軽減のために喫緊の課題である。また部活改革は働き方改革への補助翼となるはずだ。休むことへの理解、効率的作業への理解、悪しき体育会系的発想からの脱却など労働意識の改善につながる議論対象になるはずだ。


部活は机上では学べない経験や社会性が育つ、広い意味での教育の場である。それゆえにアンチ部活として単に否定するのではなく、悪い部分を見直し、教師も生徒も人間的に成長や成功を実感できる場所として改革を進める時はまさに今であろう。その際に大事なのは「自分達の過去の体験」を基準にするのではなく「教育にとって合理的か」を基準に議論を進めることに違いない。

大竹、魔の6回

4番目の先発がいない

現在4位に位置する巨人軍は長野が一時の大不振から脱出し、2番セカンドマギーのカードをついに切り、陽や亀井で下位を固定できるようになりました。もちろん波のある長野、守備の脆弱さが露呈したマギーと課題はありますが、打線の顔触れが固まったことに私は安心感を抱きます。


しかし計算できる4番目以降の先発投手が依然として存在せず、この問題が「借金返済」できない大きな要因と思われます。4番目に立候補しては背信の投球を続ける投手ばかり増えるのが現在の巨人です。その中で今日は何度もチャンスを与えられながら「同じ」失敗をする大竹寛投手についてお話しします。


FAで来たけれど…

2014年シーズンから巨人に入団した大竹は初年度を9勝6敗の成績で終え、3勝4敗、6勝6敗という不完全燃焼の成績が続いています。正直、巨人にいるかいらないかと言われれば答えに窮する存在です。4年目の今年こそは決意に満ちているだろうとは思いましたが、失望させる結果となってしまいました。


5月に4勝目を挙げて以来、一軍と二軍を往復する状態が続いています。ベテランの内海もイマイチ、先発格投手のケガや中継ぎ転換で先発枠に余裕がある奇跡的なチャンスを生かしきれない彼のふがいなさはただ一点「6回を投げきれない」に尽きます。まるで人が変わったかのように四球を出し、連打され途中降板する回数の多さは深刻なものです。


どうして投げられないのか?

ファンの不安がそのまま的中する大竹ですが、打たれる理由は「打順の巡り合わせ」と「精神的な問題」でしょう。5回まで好投するとだいたい上位打線の3巡目と対決してしまいます。どんな投手でも意識せずにはいられないし、警戒しますが、彼の場合はそれが過剰になって悪循環になっていると私は考えます。


その過剰反応でカウントを悪くした結果四球を出したり、ストライク欲しさに置きにいったボールを痛打されたりすることが多いのではないでしょうか?また本人も同じことを繰り返してることは認識しているはずでしょうが、その記憶に引っ張られるあまりに自然と萎縮した投球になっているのかもしれません。


克服できるか問われる大竹

早々に降板する投球を繰り返されては中継ぎ全体への負荷が大きくなってしまいます。中継ぎは試合で投げなくとも、ブルペンで肩を作るだけで身も心もすり減ると聞きます。今の大竹では慌ただしいブルペンを生み出し、中継ぎ陣の疲労の蓄積は試合終盤での失点を許す土壌を作るだけです。マシンガン継投を許すチームでは上位進出は厳しいでしょう。


二桁勝利を4度、弱い時期の広島を一年通して支えた大竹なだけに実力も体力もまだあるはずです。打線の巡り合わせは避けられず、精神的問題を解決するしか「魔の6回」の克服はありません。性格のよさから来るのか分かりませんが、過去は過去と切り替え、トラウマに囚われず投げるしかありません。あとがない大竹のシーズン終盤戦での生まれ変わりを切に願いたいです。

最初で最後のグループディスカッション

たった一度の経験だけど

エントリーシートを書き、筆記を受け、個人面接を経て内定という一般的な過程を経て私は就活を終えましたが、今日は別のある企業の採用試験で経験した「グループディスカッション」についてお話します。退屈で茶番で陳腐な「演劇」をやらされたあの経験は二度と忘れられないでしょう。


これは、ある誰もが知る有名大企業の一次面接でした。私のいた班は7人1グループでお題が「会社と地域活性化」でした。他の企業では個人面接が基本だったものの、口は立つ方だし、練習なんてしなくてもいつも通り話せば上手く行くだろうという気持ちで臨んだのが失敗の始まりでした。


おいてけぼりのでしゃばり大会

挨拶もそこそこに本題に入るやいなや、主導権争いが始まりました。司会をやりたい人、書記をやりたい人がまず現れました。その後に意見を言う人が登場し、本題についての議論が始まるのです。初めて参加したゆえにこの主導権争いのタイミングを掴めず、ここでも失敗を犯してしまいました。


私も一度意見を展開したものの、司会者の頭の中に築かれた「世界観」に沿って進行する以上、途中で疑問を呈したり、反論することは不可能でした。グループディスカッション特有の「協調性」が問われることもあり、ただ流れに従うだけでした。「話し合い」というより「台本の読み合い」という感覚でした。


お喋りな自分が通用しない

30分間のディスカッションの中で、私は最初と最後に意見を言っただけでした。これだけしか話せなかった自分に対し驚きましたが、7人の中にいた「赤べこ」のように頷く調子のいい学生やとにかく喋ろうと、マウンティングしようとする「訓練」された学生の前に私はなす術ありませんでした。


ここで分かったのはお喋り好きは必ずしも有利にならないし、テクニックを知った者が有利ということでした。正直、彼らのあの積極性は作られたものだと思いました。一方で私は、好きな話題を、自分らしい話術で伝えるからこそお喋り好きなわけであり、与えられた空間と作法の中ではただ沈黙を貫くだけでした。


アホらしいと思ったらもう無理かも?

良くも悪くもお喋り好きは一人で多く話してしまい、自然とその空間を支配しがちです。まるで漫談のように話し、周りの反応を得て、その続きを即座に考えるというサイクルが作れないグループディスカッション独特の雰囲気は事前に理解しておかないといけないと感じました。(今後勉強するつもりはありませんが)


ただ私のように「話し合いに見せかけた演劇ごっこ」と少しでも感じた人はやる気が出ないかもしれません。「人事への見せ物」と感じた瞬間、議論することのバカバカしさを抱くかもしれません。社会人になって、知らない人と、その場お題が分かる、対立のない議論なんて存在するの?と強く感じました。


もちろん大量の志願者を選ぶためにグループディスカッションは適当なのかもしれません。学生の積極性や協調性、コミュ力を短時間で判断しやすいからです。とはいえこれでは表面的なことしか分からんだろと私は感じました。もしかしたらこの企業は「茶番をためらわずにできる学生」が欲しいのかもしれませんが…



さて、その選考結果は言うまでもなく一次面接で見事に「サイレントお祈り」を頂き、私の「最初で最後の」グループディスカッションは終わりを告げました。