水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。

巨人打線の高齢化

決戦の一週間を終えて

巨人軍のペナントレースの順位を定めるに違いない大事な一週間が終わった。火曜からの敵地・甲子園での対阪神3連戦は1勝2分、土日のホーム・東京ドームでの対DeNA2連戦は1勝1敗という成績であった。その結果、DeNA相手に1ゲーム差をつけて3位という位置を死守することができた。13連敗したチームとは思えぬ激しいCS争いができていることはファンとして幸せなことである。


こうした激しいデットヒートを戦えるのも頼もしい先発3本柱と畠の活躍と切れ目のない(今の戦力でできる)理想的な打線が完成したからであるが、そのラインナップを見ると言えることがある。それは「巨人打線の高齢化」だ。以前から言われてきたことではあるが、今年はこれでよいとしても、来年以降を見据えるといよいよ大きな問題となってきた。


打線の高齢化が止まらない

シーズン序盤は中井(27歳)と立岡(27歳)の20代、1、2番コンビだったものの、得点力に寄与しない二人はスタメンから降格し、現在は陽(30歳)とマギー(34歳)の二人に変わった。その結果、上位打線の出塁率長打率は改善し、最大11あった「借金」を完済することができた。借金完済の貢献者の二人ではあるが、年齢と陽の脚、マギーの膝を思うと憂慮すべき点が大きいのも事実だ。


しかし彼らは巨人打線全体からするとまだまだ若い方かもしれない。4番の阿部は38歳、5番の村田は36歳、亀井は35歳であり、長野も32歳だ。クリーンナップが坂本(28歳)を除き30代後半であり、彼ら中軸の引退は攻撃力低下になることは間違いないが、その代わりとなる期待の星が現れてないのが現状だ。一年また一年と漫然と時間を費やしてしまっているのが今の巨人ではないだろうか。


新陳代謝の悪い打撃陣

過去10年ほどの巨人を牽引した貢献者たちではあるが、あまりにも代わり映えのしないその布陣には不安を抱く。なぜならチームの柱となる選手は一朝一夕には誕生しないからだ。だからこそ時間をかけ育てるしかないのだが、ことごとく失敗または未成功の状態が続いている。補強で一瞬の回復は可能ではあるがそれでは根本的解決にはならない。まさに巨人は重要な、深刻な転換期にあるのだ。


もちろん世代交代に着手した跡は見られるが、いずれも中途半端な期待と方針によって失敗してきた。大田泰示はまさにその典型例だ。右の大砲候補、松井2世と言われながらもトレードで放出し、新天地では巨人時代以上の成績を出している。これまでの功労者と若手との天秤で長期的な判断ができず、すぐに痺れを切らして二軍落ちからの一軍昇格を繰り返しては逸材を生かせられるわけがない。


悪夢の低迷期だけは避けたい

今、スタメンに名前を連ねる選手たちの引退後の穴を埋められなければ、巨人は2020年代深刻な低迷期に突入する可能性が高い。一旦低迷すれば再起するには時間がかかることは容易に想像できる。しかし「常勝」を宿命づけられた巨人にそれを許すことは当然できないはずだ。そのためにはポスト阿部、ポスト村田を見出ださなければならない。残された時間は多く見積もっても2年だろう。


ベテランにはベテランの立場や役割を期待したいが、いつまでも硬直化した組織は不健全であろう。また「自分からよじ登ってこい」と言うのは簡単であるが、育成と発掘を怠ったまま努力を促すのは無責任の極みである。今いる選手への辛抱強い指導と起用はもちろん、ドラフトでの小粒な野手ばかり指名する無難な方針から、強打者候補獲得への野心的な方向転換を強く求めたい。

ある同級生の内々定先

近づく大学生活の終わり

早々に忌まわしき就活を終え、怠惰な生活を送っていたところ秋風を感じる季節となりました。卒論を書かないと、思い出作りに友達と遊ばないとなどあれこれ思案する時期ですが、いよいよ来月には「内定式」を迎えることになりました。私は一番最初に会社説明を受け、一番最初に内定を貰ったところに入社することを即断しましたが、これがいい選択だったかは来春に答えが出ることでしょう。


私は説明会や面接、内々定後の懇親会などで得た感触を根拠にブラック企業ではないと判断しましたが、世の中には悩むまでもなく、辞退すべき企業があるのも事実です。ネット上の情報、募集要項、業務内容などから勘案してそう言われます。今回はそんな危険な香りのする企業に内々定を貰い、辞退した同級生から感じたことをお話します。


有名企業から内々定を貰ったとはいえ

彼はある日、誰もが知る、規模的にも大企業な有名食品企業から内々定を貰ったと話してくれました。本人いわく「他の企業の面接もあるからまだ決めた訳ではない」と言ったので、私はおめでとうと次の面接頑張れよと言ってその場は終わりました。その後、私は『あの会社有名だし、どういう処遇なんだろうな』と気になりネットで検索をかけると、どうもよくない情報ばかり流れていました。


ネットの情報は玉石混淆だし過信は禁物と思いつつも、どうも昔から悪い噂ばかり流れる企業だったことが分かり、一抹の不安を覚えました。自分の就職先が本当にどうなのか分からないのに、人の人生を案じるのも変かと思いましたが、調べれば調べるほど『これはマズイ』と思うようになりました。有名だからホワイト、大企業だから安泰というのはこのご時世通用しないのかなと感じました。


私が不安に思った理由

まず「給料の低さ」です。もちろん初任給の高低がその後の生涯年収に直結するとは限りませんが、基本給があまりにも少なく、固定残業代込みの「残業代ありき」の給与体系なんだなと思いました。次に「激務な業務内容」です。文系新卒のほとんどが営業職とはいえ、そこの会社は体力勝負、長時間労働の要素が強い営業でした。彼は小柄で、痩せ形だったため大丈夫かな?とまた思いました。


社風も体育会系、離職率も同業他社に比べ高いなど彼の性格には合わない情報ばかり目にし、絶対潰されるなと危惧しました。後日その彼に再び会った時、私は「あそこは止めた方がいいし、せっかくの売り手市場なんだから他の企業に行った方がいい。」と言いました。私の話が影響したのかは知りませんが結局彼は全く違う業種の事務職から内々定を貰い、そこに行くことになりました。


当たりクジを引くために

どこの企業説明会に言っても悪いことは当然言いません。私が受かったところももれなくそうだったと思いますが、選考過程を経ていく中で感じたものを信じることにします。一方で信憑性の高い悪評ばかり流れる企業には信頼は生まれず、払拭するための行動を彼らは起こす責任があるはずです。しかしそうした態度がないまま現在に至ると思うとそこの商品を買う気はどんどんなくなりました。


税金は上がるが、給料や経済の大幅な成長は期待できない時代だからこそ安定や労働環境の良さを求める傾向が強まっているのでしょう。また就活というコストばかりかかる「茶番」を経験したからこそ一回で「ホワイト企業」を掴みたい意識も安定志向の要因の一つと思います。今後就職する皆さんも知名度や企業規模だけで選ぶのではなく自分の性格に合うか、健康に働けるか、処遇はどうか多角的な判断基準を作ることを推奨します。

民進党に思うこと

安易な起用案が招いた惨禍

一時は幹事長職に内定が決まった山尾議員が不倫疑惑を受け離党届を提出したことには驚きを隠せない。政調会長を任され、若手議員の筆頭格として栄達への道を進みつつあった彼女が今やただの無所属議員になるというのはまさに一寸先は闇を体現する。しかしこの報道が無かったとしても、私は山尾氏を幹事長に起用しようとした考えは安易な発想だったように思う。


当初は「新鮮さ」や「女性登用」という意図があっただろう。しかしまだ2回生議員の彼女に党の「選挙とカネ」の采配を振るう力があったのか疑問符がつく。幹事長に求められるのは自分が脚光を浴びたり、攻撃的であったりすることではなく、候補者を照らし調整能力を発揮することだろう。与党の稲田元防衛相は典型例で、安易なウケ狙いは早々に失敗を招く最大の要因の一つである。


否定するのに離党の謎

遅かれ早かれボロが出ると思っていたがまさかこんな形で出るとはと山尾幹事長案に不満を抱いていた民進党議員も思ったに違いない。過去の自民党議員は不倫を認め、離党したが、今回の件ではそれを否定している。にもかかわらず離党表明とは不思議なものである。「疑惑によって党に迷惑をかけた」ことがその理由だがやはり不思議だ。


W不倫疑惑の当事者は弁護士と元検事である。事実無根なら週刊誌を訴え、彼らを論理的に攻めることも容易なはずであったし、いつもの威勢の良さよろしく国民に主張することも可能だったはずだ。しかしこの度はその疑惑の真偽を見ぬままあっさりと離党を決断してしまった。不誠実なままこれを認め、赤の他人の態度を決め込めば来る補選や総選挙で逆風を新執行部が被ることは必至だろう。


したことは返ってくる

そもそもプライベートな話なのだからこれを問題視すべきでないとの声もある。しかし散々テレビで自民党議員の不倫を責め、働くママの代表として活動してきただけに因果応報と言えよう。甘利氏の秘書の献金問題の時は「秘書の責任は議員の責任」と言ったにもかかわらず、自身の秘書のガソリン問題の時には「知らなかった」で難を逃れた。


またしても自分のしたことが返ってきたとしか言えないお粗末さである。攻撃ばかりに全振りして守りがこの体たらくでは前原執行部は彼女を幹事長にしなくて良かったとしか感じられない。「ブーメラン」という言葉が叫ばれて久しいが、これほど鋭く突き刺さったブーメランはいまだかつて見たことがない。


いつまで立ち直り中なのか民進党

2012年の下野以来、もう5年が経とうとしているがいつまでたっても同じことを反省しようとし、同じことを課題だと思っている成長のなさはいったいどうしたものかと呆れるばかりである。まとまりがないだの、憲法や安全保障で逃げるだの、政権交代のビジョンが見えないだの毎回言われ続けたことへの回答が示せないまま徒に時間を消化した5年は重い。


八方美人で党内では手詰まり、党外ではいつもの反対路線になった蓮舫氏とは違う手腕を発揮することが前原氏の最大の任務であったが船出早々に大破だ。都民Fに期待する離党組や予備軍に対抗する前にこの有り様である。大破した党が今後「流れ解散」になるか「修復」するかは前原代表と当事者たる山尾氏の言動にかかっている。末期的状況への安易な処方箋はない。ただ誠実であるのみだ。

小林か、宇佐見か

松本の空に輝いたアーチ

決戦の9月、必勝の9月がやってきた。その総力を結集して残り僅かのシーズンを戦い抜き、勝ち抜くことが上位浮上への唯一の途であろう。そのような決意の中、5日の試合での勝利は大きな1勝であった。あと一球で試合終了という窮地から代打宇佐見が放った打球はチームを救い、後のサヨナラアーチを演出した。


その起死回生の同点弾を放った彼への巨人ファンの感動、感嘆は想像するまでもない。プロ初本塁打がサヨナラアーチ、プロ初スタメンでも本塁打を放つという赫々たる成果を納める2年目の新星への期待はまたしても高まった。今や不足する左の大砲の後継者として育成すべきとの待望論がファンの間で強まっている。


小林との競争激化は必至か

しかし現在正捕手の座にあるのは4年目の小林である。阿部の一塁手転向以来、期待の若手として徐々に出場試合数を伸ばしてきた。しかし打率は2割前後で低迷し、見た目に反して鈍足だが、これをもって批判一辺倒になることには注意しなければならない。強肩と投手陣からの信頼感はまだまだ小林に軍配が上がる。


盗塁阻止率のみならず盗塁企画数の少なさは大きな強みである。投手陣とのコミュニケーションの充実さは彼らのヒーローインタビューでの小林への感謝の言葉の数々から理解できる。しかしこれら信頼感は継続して起用されて成立するものであり、リードもまた一軍の舞台にいてこそ上達するものであるから、現在の小林一強が約束されたわけではない。


あの打撃力はやはり魅力的

使い続けたらリードや信頼感は上達するだろうが、打撃力はそう簡単に伸びゆくものではない。やはり天性の才能や元来持つパワーやミートが基本となるものと思うと小林は次第に劣勢に立たされる可能性は否定できない。数少ない好機で結果を残し続ける宇佐見の猛追がこのまま続くかどうかは分からないが、小林自身が変革を強いられることは間違いない。


阿部の打撃力は希代の才能と水準であるから、これを普通と思って期待するのは酷だが、小林にはもう少し打率や出塁率を上げてほしいというのが私の素直な願いである。8番、9番が自動アウトではあまりにも相手チームとの差が大きい。あの阿部もまた当初はリードの未熟さを指摘されながらも、持ち前の打撃でカバーしながら着実に成長し、時代を代表する捕手になったからだ。


ライバル登場で相乗作用なるか?

小林が現時点では優位なことには変わりはないが、宇佐見の打撃力は気になるところとである。またその宇佐見の活躍が一時的なものなのか、継続的なものなのか見極める必要もある。そのためには代打宇佐見では不十分だろう。3位滑り込みを目指す非常時とはいえ打線が湿りつつある巨人に少しでも刺激を加える要素とならないかとも私は思う。


未熟な、単調なリードが露呈するかもしれないが、まさに実践的で、緊張感あるこれからの試合を経験することは価値がある。スタメン宇佐見とまでいかなくとも途中出場の時間を多めにとることは可能だろうし、単年の覚醒で終わらせるには勿体ない。このライバル登場という初めての経験は小林にとっても、チームにとっても利益があるはずだ。大いに競争してほしい。

「働き方改革」と共に「部活改革」を!

教員・生徒双方に負担のある「部活」

先日、読んだ地方紙の一面に「教員の労働時間調査」の結果が掲載されていた。詳細は忘れたが中高の教員の半数以上が一日12時間超の労働時間だと回答していた。部活動の指導が長時間労働を招いてることは言うまでもなく「部活改革」が教員に対する「働き方改革」の一丁目一番地であろう。


また教員の負担のみならず、子供たちの負担も考えなければならない。教育の一環であるはずの部活動が肝心要の勉学や家庭や友人との時間を妨げ、疲労を招くだけでは心身の成長に貢献しない。むしろその過酷さや理不尽さの蓄積が精神の退廃を生むだけでは、何のために身体を動かしたり、頭を働かせたりしているのか疑問を生じさせるだけである。


空回りの長時間部活

顧問の体罰や過酷な練習による熱中症など痛ましい事故は止まない。しかし殴られるまで、死にかけるまでやる必要はあるのかと私は感じる。試合への勝利、能力向上のため努力をすることは大事な心がけだが、全員が日本一を目標にしているわけではないし、その競技でメシを食っていくわけないのに実業団ばりの練習を課す必要性はあるのだろうか。


近年のスポーツ強豪校は猛練習と自主性や科学的知見がセットになっており、闇雲に練習をしたところでこうした学校に勝てるわけがない。盆正月も返上で、普段も遅くまで練習したにもかかわらず、長時間部活が災いして部員不足に陥り、あっさり初戦敗退して3年の夏が終わった私の妹を例に思うと、あの長時間の練習はなんだったのかと呆気に取られた。


負の価値観の再生産にならないか?

時の運、不運もあるわけだから初戦敗退は残念だったが、そうした長時間の(非効率的な)練習を経験した妹が「長時間部活を肯定する大人」として再生産されないか心配である。自分も辛い思いをしたのだから、下の世代も経験して当然と考えはしないかと危惧する。我々の親世代はまさに長時間部活、過酷な練習が当たり前だった時代に生きていたからこそ、部活問題への意識が薄いようだ…


私の母も夜遅くまでの練習を「帰宅時間が遅くなる」とは言いつつも「熱心な先生」と表現して肯定する。働き方改革に比べて部活改革への関心が薄いのは、労働は現在進行形で自分達の利害に関わるが、部活は子供のこととはいえ所詮他人事であり、価値の判断基準が自分達の中高生時代のまま動かないからだろう。


働き方改革と部活改革の相乗効果へ

とはいえこの状況を放置するわけにはいかない。教員の負担軽減、子供たちの負担軽減のために喫緊の課題である。また部活改革は働き方改革への補助翼となるはずだ。休むことへの理解、効率的作業への理解、悪しき体育会系的発想からの脱却など労働意識の改善につながる議論対象になるはずだ。


部活は机上では学べない経験や社会性が育つ、広い意味での教育の場である。それゆえにアンチ部活として単に否定するのではなく、悪い部分を見直し、教師も生徒も人間的に成長や成功を実感できる場所として改革を進める時はまさに今であろう。その際に大事なのは「自分達の過去の体験」を基準にするのではなく「教育にとって合理的か」を基準に議論を進めることに違いない。