水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。

【陣風賦】R1.8.6「手取り23万円とクソリプ」

Twitterのタイムラインを見ているとフォロワーのツイートに限らず、リツイートも回ってくる。その多くは数千、数万とリツイートされたものだ。このリツイートを見ると同時に私はリプライも見るようにしている。大衆を引き付ける文章に大衆はどんな反応を示しているか気になるからだ。


▼秀逸なボケやツッコミ、補足コメントを行うものには感心するが、大抵は見るんじゃなかったと失望するばかりだ。本当にツイート呼んだ上でリプライをしているのか疑わしくなるコメントが多いからだ。世にクソリプと呼ばれるものだ。


▼記憶に新しいのは最低賃金で働き、残業代未払いで係争する労働者のニュースを引用したツイートだ。「手取り23万」というセンセーショナルなワードがTwitterを駆け巡り、問題提起したツイートにたくさんのリプライが寄せられた。
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(各種ツイートに添付されていたのがこの円グラフ)


▼当該労働者への同情、不安、義憤に駆られるものかと思いきや、リプライには私はもっと給料が少ない、食費4万円は高い、いつまでブラック企業にしがみついているんだと、貧乏自慢や揚げ足取り大会で盛り上がってしまった。


▼なんたる読解力の貧しさか、元のニュースを見ず、論点になった長時間労働や未払い賃金などには触れず、反射的に反応する愚かさよ。一方でこれが市井の率直な反応だと思うとまだまだ我が国の労働環境は改善されないのだろう。


長時間労働に身を置くと自炊は困難になり、外食やコンビニに依存しがちになるのは一呼吸置いて考えれば想像できることだ。低賃金だから十分な蓄えを得られず、転職のために無職になることができないこともまた想像できよう。


▼衣食足りて礼節を知るという言葉があるように、生活の余裕のなさは現実、仮想空間問わず人間を本能に生きるヒトたらしめるのだろうか。だからこそ赤の他人に攻撃精神を発揮したリプライを送ってしまう構造が成立するのだろう。ネットとはいえ文字の向こうには血の通った人間がいることを忘れてはならない。


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わたし、うつで休職します「休職前夜」

休職直前に何があったか

これまで休職に至る経緯や休職中のお金についてブログにしました。今回は休職を決断した5月末に焦点を当て、心と体に起きたことと職場で経験したことについて書きます。思い出すことは決して心地よいものではありませんが、私自身記憶を整理して今後の対応を取る必要がありますし、就活生や新入社員の皆さんへの教訓になればいいかなと思い書くことにしました。


この時期は早朝覚醒といって起きるべき時間よりも早く目が覚めていました。そのため遅刻するということはありませんが、朝から憂鬱さと不安に苛まれていました。心の調子が悪くなるにつれて足取りが重たくなり、僅かな抵抗からなのか乗る電車も一本、二本と遅くなっていたことも強く記憶に残っています。


膨大な業務量と働かない頭

始業後に直面するのは膨大な書類や稟議書です。常に私に多くを割り振られ処理能力と供給量がミスマッチした状態でした。その他にも請求書や伝票、社内資料の作成、社外との連絡、業務改善案の準備、部内庶務とメインの仕事とサブの仕事に追われる日々でした。この業務量過多を端緒に心身の不調が始まったわけですが、休職前にはそれらに文字通り手がつけられない状態になりました。


頭も手も動かないし、声も出ないという時間が増えていき、業務の進捗に遅れが出てくるようになりました。様々な業務の期日を短期間に詰め込まれるも懸命に処理してきました。しかし処理すればするほどその数と求める質が上がっていく悪循環に陥り、最後は考えることが怖くなってしまいました。印刷ミスやスペルミスなども増え、単純なことすら満足にできない状態でした。


心配する他部署の人々

私の業務量や負荷、能力と釣り合わない要求事項の数々に無関心な管理職や上司とは反対に、就活のときお世話になった他部署の課長さんや技術職のベテラン社員、支店の先輩社員は私の困惑した様子や覇気のない様子を気にかけてくれました。また同期もやけに心配してくれていたことは覚えています。


心配された時点でもうどこかで危ない兆候は表れていたでしょうし、人はよく見ているのだなと認識しました。こうした同情に上手く答えられればよかったのですが、そのとき私は雑談レベルの会話すらおぼつかない状態にありました。なんとか取り繕ってはいたものの、他愛もない会話すらできない状態は危険度が高いと言っていいでしょう。


休職を後押しした言葉

休職が頭によぎる中、負けていられないという意識もありました。しかし、最後の抵抗すら奪う数々の言葉が決定打となり私は休職を決断しました。


精彩を欠くミスが多発していたことから上司に別室に呼び出され「もっと頑張るように」と促されました。精神が弱った人に頑張れと言うのはよくないと言われますが、それは時と場合によります。残念ながら私は最悪の条件でかけられた頑張れでした。また同時に「来月からはもっと忙しくなるけど頼んだよ」とも言われその期待が生命の危機をはっきりと自覚させました。


また私が抱えていた案件で他部署との調整が必要な事案が発生しました。担当者だけではらちが明かないので管理職を交えて意見や認識のすり合わせを行う必要がありました。そこで私は打ち合わせを行いたいと具申したところ「それはあなたの責任でやって。俺は参加しない」と自己責任論を振りかざし拒否しました。何のための役職であり責任なのかと私は途方に暮れてしまいました。


私が休職できた理由

歯を喰い縛る最後の気力を失ったことで私は休職をし、現在に至っています。もしここで管理職や上司がブラック企業の手口にあるようにただ負荷だけでなくアメを与えていれば、確実に体を蝕むことにはなっていたでしょうが休職はしていなかったと思います。単なる「クラッシャー上司」だったことが幸いしました。


また会社としてはホワイトなので休職に関する規程が整備されており、これを熟読していたことも休職できた理由です。手続きや給与、復帰までのプロセスなど労働者有利の仕組みになっており、安心して心身を休めると分かったからです。


辞めるのではなく休職することで身体的に、経済的に、社会的によい選択ができたと確信しています。心身の危機には速やかに対処しましょう。健康第一です。


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わたし、うつで休職します「休職中のお金」

収入大幅減に直面

休職に入り二度目の給料日が来週やって来ます。幸いなことに休職中も基本給分は支給され、また先月6月は5月分の残業代が含まれていたので、通常月並みの給料が支給されました。しかし今月からは基本給分のみということになり、収入減に対応した生活をしなければなりません。収入減に加え心療内科受診による医療費増という事態に直面した私は収支のさらなる見直しを図りました。


まず削減したのは「貯金」です。収入から財形含め6割以上を貯金に回していましたが、これを3%程度カットし、他の支出項目を優先しました。また交遊費や医療費、食費など純粋に自由に使える「小遣い」については20%カットしました。休職中なので昼休みの外食はゼロになるというプラスの効果もありますが大幅減です。またクレジットカードの利用についても約20%減ということにしました。


固定費もさらに節約

家賃やほぼ固定料金となっている通信費については削減できませんでしたが、ガス代と電気代については減らせる対象として見直しを進めました。まずガス代は家に引きこもり、誰とも合わない日はシャワーの利用を控えました。またシャワーの温度も3℃下げ30%の削減をすでに実行することができました。


電気代も日中家で過ごすことが増えましたが日没後まで照明をつけず屋外から光を取り入れ、電気のつけっぱなしを止めるなどを行い約10%削減することができました。涼しい日が続いていることも電気代削減につながっており助かっています。元々無駄遣いしない性格ですし、家計を考えることは苦ではありませんが、基本給だけで生きていくことは結構しんどいものがあります。


アンケートサイトをやってみた

支出減の余地は限られる一方、休職中とはいえ収入増につながる手段も考えることにしました。そこでアンケートサイトに登録し、ポイントを換金することにしました。時間だけはあるのでこまめにアンケートが来ていないかチェックし、ひたすら答えました。初月の6月は月の途中から行ったこともありゲットしたのは2000 円でしたが、7月は3000~3500円稼げそうです。


お小遣い程度ですが収支のバランスを確実に黒字化させるには不可欠な収入ですし、低金利の時代預貯金に期待できないのでアンケートサイトは私の休職期間中の大事な財源になりそうです。またこれはリスクも伴うものですが外貨預金も行っています。これは金利は高いものの為替損益も生じるもので余裕資金内でやっています。証券口座も開設してお金にお金を稼いでもらう準備も進めたいです。


基本給生活はしばらく続きそう…

給料が保証されるということは生活が保証されるということになり大変ありがたいことです。貯金を削らずに毎日を生きていけるからです。しかし思うのは残業手当なしで暮らしていこうとすると生活は困窮と隣り合わせだということです。もちろん繁忙期や緊急事態に対応するために残業をすることは理解できますが、私の場合慢性的な残業環境にあったことが休職につながったのかと思います。


私が休職した理由は様々な要素が積み重なり、組み合わさった結果なので労働時間それこそが問題だったわけではありません。ただこれを語るなら休職前は社内で最後まで残ることが増えてましたし、翌月以降、よりあれこれ要求されることが目に見えてました。「ここで逃げないと危ない」という意識しか最後の方はありませんでした。仕事が属人化する前に休めてよかったと今は安堵しています。
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わたし、うつで休職します「はじめに」

ついに迎えた決断の日

ここ数か月長らく続いていた精神的、身体的不調は「抑うつ状態」と診断され、休職を勧めるとの診断書になりました。酷くなる一方の状況に危機感を抱いて通院するも、症状必ずしも好転せず、労働環境もまた私に利あるものになりませんでした。なお6月以降も今の環境のまま仕事を継続すれば、ついに私の心身の荒廃を招くのみならず、今後の人生を破却至らしめると考えたところであります。


過剰な業務量と残業ありきの労働時間と業務期日に追われ、それでも要求される過剰なクオリティ、そして所属部署の人間関係がすべての元凶です。何かあれば私に業務を押し付ける先輩社員、そして業務の割り振りを一切管理しない管理職と孤立無援、四面楚歌に置かれた私は毎日が不幸でした。精神的不調は身体的不調にもつながり、相互に作用し身も心も消耗しきってしまいました。


身体的不調はかなりキツい

抑うつ状態なので憂鬱な気持ちや焦燥感など気分の落ち込みはありますが、同時に身体的不調が襲ってくることは今回の出来事を機に初めて知りました。この体に感じる不調がまた精神に悪影響を及ぼす悪循環の中で働き続けていたことは本当に苦痛なことでした。症状としては頭痛、腰痛、腹痛の痛みトリオの他に食欲不振、吐き気、微熱、節々の痛みまでやって来ます。


もちろん疲れが取れにくかったり、寝付きや目覚めに不調が出たりもしますが、ただでさえ心がつらく、重い状態で体にも違和感を抱えたまま過ごすことになるので、帰宅後はベッドからほとんど動くことができなくなりました。もうあんな日々に戻りたくないと思い休職の手続を取ることにしたのですが、その際には今抱えている仕事のことや、休んだ後の職場のことは忘れるべきでしょう。


責任感、使命感より大事なもの

今、抱えている仕事があるから休めないと考える人もいるでしょうが、仕事は絶えずやって来るものなので、こうした考えではいつまでも休めずさらに体調を悪化させる原因となります。ここで1、2か月頑張って症状を悪化させ退職せざるを得なくなり、その後、何年にもわたって療養生活を過ごすとなってしまっては元も子もありません。守ってくれるのは自分だけなのですから。


これからどうするか

2か月ほど休むことになりそうですが、おそらくそれで復職できるとは思っておりません。時間がかかるものと考えていますし、もう今の所属部署であのメンバーたちと仕事もしたくないと思っています。こればかりは私の意思でどうにかなるものではありませんが、復職したところで再発のリスクが高いからです。そう思うと中途半端な復帰は怖いです。


休職中はしっかり休むことと、今後の出処進退を考える時間にしたいです。ダラダラ過ごすのはもちろん、少し元気になったら読書や料理、英語の勉強をしようかと思います。そしてやりたいこと、できることを振り返り、進路を方向転換するならばお金や能力、スケジュールについて検討することにしたいです。前向きに休養を取りたいと思います。

20代からの早期リタイア計画「早期リタイアを目指すに至った経緯」

これまで書いてなかったこと

早期リタイアを実現するために節約の仕方やお金の使い方、我々世代の生き方などについてこれまで書いてきました。しかしなぜ早期リタイアを目指すに至ったかについては書いてこなかったように思います。一年間を振り返り、それらを整理してからその経緯を書こうと思ったからです。ようやくその用意が終わり文字に表すことができたと感じています。


私自身これらを顧みると不運だったなと思うこともありますし、生来のマイナス思考も災いして未来に期待を持てず悩ましい日々を過ごしています。漠然とした悲観論とどう向き合い、処理していくべきかが私にとっての重大な課題となっています。文章を読んで「甘いなあ」と思うのも結構、「私も」と共感してくれるのも結構ですが、これが紛れもない今の気持ちであることを宣言します。


配属約50日で教育係が休職

会社にはいわゆるメンター制度とかブラザー・シスター制度などが存在はしませんが、業務や社内慣習などを教えてくれる人が私にはいました。便宜上教育係と呼びますが、少しずつ教わりながら仕事をしていました。教わり、真似をしながらの日々でしたが、ある日より会社に来なくなりました。それから数日後、上司から「彼は休職した」との報告がありました。


今も復職できず、丸一年休職していることになります。その人から「今の業務は向いてない」と一度聞いたことはありましたが、心を病むほど負担であったと衝撃を受けました。同時にこの出来事から徐々に不安が増大し、労働への恐怖を感じるようになりました。多少は意気揚々と社会に出た新人の隣で、休職者が現れたことへのフォローの一つすらなかったことは今も忘れることはできません。


給料と能力に見合わぬ負担の蓄積

その後、別の先輩社員(休職した人よりも年上)の人に教わりながら働くことになりましたが、人員減の状況を支えるために私が主担当として行う仕事も出てきました。しかし、だからといって給料が当然増えるわけでもなく負荷だけが増えるようになりました。要領良くできるタイプではありませんが、この非常時乗り切って何とかしようと思いました。


そんな状況を過ごして3か月ほど経った頃、ついに緊急事態は終了しました。人手不足を補うために会社が派遣社員を呼ぶことにしたのです。触れ込みでは今の業務の「経験者」ということでしたが、現実はそれを裏切るものでした。実際は新卒で入った会社はブラック企業、転職先もブラック企業、フリーターを数年やった後に、私の勤め先にやって来たという能力に疑問符のつく人物でした。


今度は私がちょっとした教育係に…

待遇の悪い環境にしかいなかった人を仲間に入れ仕事をしたことも思えば不幸の始まりの一つだったと思います。能力や工夫ではなく、残業で何とかしようとする態度が顕著で正社員の私よりも労働時間が長い月もありました。こんなことを書けば傲慢かもしれませんが、記憶力や読解力の乏しさ、そして労働法に対する知識のなさも酷く、非正規で人員を補うことの弊害を強く感じました。


自分が覚えることで精一杯であるにもかかわらず、この非正規が入ったことにより私は業務の概要や会社の備品、システムの利用方法などを教えるよう言われました。なぜ私がそんな教育係的役割を担わなければならないのか不満を抱きましたし、彼の不始末が原因で私が注意されたことも理不尽に感じました。「こんなこと私の仕事じゃない」と。


昔人間しかいない部署環境

業務量の多さを申告しようにも上司や年齢の離れた先輩は昔人間であり、それくらいやって当然と考える節があります。しかし昔以上の仕事の密度で、昔より少ない手取りで、昔と同等の忠誠心を示せと言われても誰が納得して働けるでしょうか。馬鹿馬鹿しい、コスパの見合わない行為ですし、仮に私を自分と同じような仕事人間にさせたいならもっと別の人間が適しています。私は嫌です。


早期リタイアするまでもなく、見切りをつけて自分が関心のある道に進んだ方がよいのかと感じるようになりましたし、健康、特に心の健康を思うと今の環境は適していないとすら感じます。「隣の芝生は青い」だけかもしれませんが、残業も少なく、コミュニケーションが取りやすく、トゲのある言葉も言われない環境がすぐ近くにあるなかで私だけ損をしているとまた心が疲れてしまいます。


とにかくお金を貯めて選択肢を広げること、これは喫緊の最重要課題として取り組んでいきたいと思っています。