水師営の別館

プロ野球・時事評論・就活・身の回りを中心にあれこれ述べるTwitterのスピンオフ的ブログ

憲法記念日を終えて

いつもの祝日、いつものダラダラ

9連休いや、履修のない全休の日も含めると11連休となった私のゴールデンウィーク後半戦の昨日は「憲法記念日」でした。また憲法施行70周年ということもあり、新聞やテレビそして一部の人々は熱くなれた日だったことでしょう。一方、私は新聞に目を凝らしたり、ニュースを見てぼやいたり、何かの集会に参加したりすることももちろんなく、ひたすら野球を見て過ごした一日でした。


私自身は間違いなく改憲派の一人であるので、憲法を「平和の守護者」あるいは「日本の宝」のごとく扱う人々とは価値観は合わないと思っています。とはいえ憲法を「ゴミ屑」あるいは「諸悪の根元」のごとく見なす人々とも一緒にしてほしくないとも思っています。国家の最高法規、国家の基本法なのが憲法なんだという認識のもと祝日になった意味を少し考えました。


これまでとこれから

新聞各紙の質問文のニュアンスの差はあれども、これまでの憲法の果たした役割を評価する世論が多数派でした。(日米安保とセットとはいえ)軽武装、経済重視路線が戦後の発展を支えたことは言うまでもなく、国民の権利擁護を謳う現行憲法が戦前の教訓を踏まえた構成になったことは民主国家としての再出発を支えた功績の一つです。


しかし「これまで」が良かったからといって「これから」も良いと言えるでしょうか?世の中には当然に思われた「安全や安泰」が突然崩れることはありますからね。これまでの功績を理由に護憲を主張されても、それでは反論にならないと思います。戦後の国際事情や幸運という憲法以外の要素もあっての現在ですから、憲法に期待や希望を抱き過ぎな一部の人々と私は理解できないでしょう。


本丸はやはり憲法9条

冷戦は終結し、国際秩序は変化し、非国家の武装集団の脅威、近隣国の不透明な軍事的台頭と制定時には想定していない状況を迎えています。その典型例は「北朝鮮の核・ミサイル開発」でしょう。こうした日本を取り巻く環境を踏まえるとやはり「憲法9条」が改憲の本丸であると考えます。あれやこれやと改憲テーマを唱える人もいますが道草を食ってるだけにしか見えません。


下心を上っ面の言葉と表情で隠すより、率直に意志を国民に提示し、考えてもらうことが急がば回れで一番の改憲への近道でしょう。改憲を口にすれば叩かれる時代ではないし、新聞が物を言えば国民がなびく時代でもありません。曲芸的な憲法解釈と飴細工のごとき安保法体系を克服するために「自衛隊」の存在を明記させるべきです。またそれに応じて第2項を一部修正する必要もあります。


遠回りな改憲論議

国際事情、そして憲法に規定されてないのに存在する自衛隊の役割の重要性、これらを理由にこれからの日本を憲法で描こうと訴えれば改憲の気風は高まるはずです。それでもダメならそれまでと悟るべきですが、行動に移すは今だと思います。しかし改憲派の中にはどうやら上記2点以外の理由に拘泥している人もいるようでなかなか厄介に見えます。


例えば米国に憲法を押しつけられたとする「押しつけ憲法論」は護憲派への「鴨ネギ」でしかありません。制定直後の提起なら意味はあったでしょうが、制定時の疑義とは別にそれ自体に「価値の意味」がついた戦後72年にこれを振りかざしても無意味でしょう。また、たまに見かける「帝国憲法復活」という主張が国民の過半数の心を引き付けるとも思えません。


「9条にノーベル平和賞を!」という人と話し合ったとしても、おそらく互いに演説合戦になるだけで無駄でしょう。今後大事なのは何も考えてない層、どっちつかずな層の心を掴むことです。一番多いこの層に誠実に向き合えた陣営が最後に勝利を収められるでしょう。だからこそ改憲派は(もちろん護憲派であっても)身内のノリや自己満足ではない論理をよく練るよう強く私は望みます。