水師営の別館

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最初で最後のグループディスカッション

たった一度の経験だけど

エントリーシートを書き、筆記を受け、個人面接を経て内定という一般的な過程を経て私は就活を終えましたが、今日は別のある企業の採用試験で経験した「グループディスカッション」についてお話します。退屈で茶番で陳腐な「演劇」をやらされたあの経験は二度と忘れられないでしょう。


これは、ある誰もが知る有名大企業の一次面接でした。私のいた班は7人1グループでお題が「会社と地域活性化」でした。他の企業では個人面接が基本だったものの、口は立つ方だし、練習なんてしなくてもいつも通り話せば上手く行くだろうという気持ちで臨んだのが失敗の始まりでした。


おいてけぼりのでしゃばり大会

挨拶もそこそこに本題に入るやいなや、主導権争いが始まりました。司会をやりたい人、書記をやりたい人がまず現れました。その後に意見を言う人が登場し、本題についての議論が始まるのです。初めて参加したゆえにこの主導権争いのタイミングを掴めず、ここでも失敗を犯してしまいました。


私も一度意見を展開したものの、司会者の頭の中に築かれた「世界観」に沿って進行する以上、途中で疑問を呈したり、反論することは不可能でした。グループディスカッション特有の「協調性」が問われることもあり、ただ流れに従うだけでした。「話し合い」というより「台本の読み合い」という感覚でした。


お喋りな自分が通用しない

30分間のディスカッションの中で、私は最初と最後に意見を言っただけでした。これだけしか話せなかった自分に対し驚きましたが、7人の中にいた「赤べこ」のように頷く調子のいい学生やとにかく喋ろうと、マウンティングしようとする「訓練」された学生の前に私はなす術ありませんでした。


ここで分かったのはお喋り好きは必ずしも有利にならないし、テクニックを知った者が有利ということでした。正直、彼らのあの積極性は作られたものだと思いました。一方で私は、好きな話題を、自分らしい話術で伝えるからこそお喋り好きなわけであり、与えられた空間と作法の中ではただ沈黙を貫くだけでした。


アホらしいと思ったらもう無理かも?

良くも悪くもお喋り好きは一人で多く話してしまい、自然とその空間を支配しがちです。まるで漫談のように話し、周りの反応を得て、その続きを即座に考えるというサイクルが作れないグループディスカッション独特の雰囲気は事前に理解しておかないといけないと感じました。(今後勉強するつもりはありませんが)


ただ私のように「話し合いに見せかけた演劇ごっこ」と少しでも感じた人はやる気が出ないかもしれません。「人事への見せ物」と感じた瞬間、議論することのバカバカしさを抱くかもしれません。社会人になって、知らない人と、その場お題が分かる、対立のない議論なんて存在するの?と強く感じました。


もちろん大量の志願者を選ぶためにグループディスカッションは適当なのかもしれません。学生の積極性や協調性、コミュ力を短時間で判断しやすいからです。とはいえこれでは表面的なことしか分からんだろと私は感じました。もしかしたらこの企業は「茶番をためらわずにできる学生」が欲しいのかもしれませんが…



さて、その選考結果は言うまでもなく一次面接で見事に「サイレントお祈り」を頂き、私の「最初で最後の」グループディスカッションは終わりを告げました。