水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。

「働き方改革」と共に「部活改革」を!

教員・生徒双方に負担のある「部活」

先日、読んだ地方紙の一面に「教員の労働時間調査」の結果が掲載されていた。詳細は忘れたが中高の教員の半数以上が一日12時間超の労働時間だと回答していた。部活動の指導が長時間労働を招いてることは言うまでもなく「部活改革」が教員に対する「働き方改革」の一丁目一番地であろう。


また教員の負担のみならず、子供たちの負担も考えなければならない。教育の一環であるはずの部活動が肝心要の勉学や家庭や友人との時間を妨げ、疲労を招くだけでは心身の成長に貢献しない。むしろその過酷さや理不尽さの蓄積が精神の退廃を生むだけでは、何のために身体を動かしたり、頭を働かせたりしているのか疑問を生じさせるだけである。


空回りの長時間部活

顧問の体罰や過酷な練習による熱中症など痛ましい事故は止まない。しかし殴られるまで、死にかけるまでやる必要はあるのかと私は感じる。試合への勝利、能力向上のため努力をすることは大事な心がけだが、全員が日本一を目標にしているわけではないし、その競技でメシを食っていくわけないのに実業団ばりの練習を課す必要性はあるのだろうか。


近年のスポーツ強豪校は猛練習と自主性や科学的知見がセットになっており、闇雲に練習をしたところでこうした学校に勝てるわけがない。盆正月も返上で、普段も遅くまで練習したにもかかわらず、長時間部活が災いして部員不足に陥り、あっさり初戦敗退して3年の夏が終わった私の妹を例に思うと、あの長時間の練習はなんだったのかと呆気に取られた。


負の価値観の再生産にならないか?

時の運、不運もあるわけだから初戦敗退は残念だったが、そうした長時間の(非効率的な)練習を経験した妹が「長時間部活を肯定する大人」として再生産されないか心配である。自分も辛い思いをしたのだから、下の世代も経験して当然と考えはしないかと危惧する。我々の親世代はまさに長時間部活、過酷な練習が当たり前だった時代に生きていたからこそ、部活問題への意識が薄いようだ…


私の母も夜遅くまでの練習を「帰宅時間が遅くなる」とは言いつつも「熱心な先生」と表現して肯定する。働き方改革に比べて部活改革への関心が薄いのは、労働は現在進行形で自分達の利害に関わるが、部活は子供のこととはいえ所詮他人事であり、価値の判断基準が自分達の中高生時代のまま動かないからだろう。


働き方改革と部活改革の相乗効果へ

とはいえこの状況を放置するわけにはいかない。教員の負担軽減、子供たちの負担軽減のために喫緊の課題である。また部活改革は働き方改革への補助翼となるはずだ。休むことへの理解、効率的作業への理解、悪しき体育会系的発想からの脱却など労働意識の改善につながる議論対象になるはずだ。


部活は机上では学べない経験や社会性が育つ、広い意味での教育の場である。それゆえにアンチ部活として単に否定するのではなく、悪い部分を見直し、教師も生徒も人間的に成長や成功を実感できる場所として改革を進める時はまさに今であろう。その際に大事なのは「自分達の過去の体験」を基準にするのではなく「教育にとって合理的か」を基準に議論を進めることに違いない。