水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。

国難を考える~少子化編~

20年前から分かっていたはずだが…

10月に行われた総選挙を前に安倍首相は記者会見にて、この度の解散を「国難突破解散」と命名した。首相は「少子高齢化」と「北朝鮮」を国難と定義して国民の信を問うた。


もちろん、私もこの2つは日本に重く襲いかかる国難だと同意する。与党圧勝という結果を踏まえ、解決への光明を見出だしてもらいたい。


しかし、北朝鮮の問題はここ数年で緊迫感が強まったが、少子化問題は散々問題だと言われ続けたテーマである。今更、国難と言われても遅いと感じるが、2年連続で出生数100万人以下という数字が改めて少子化をそう思わせたのかもしれない。


国難の嵐はもっと強まる

少子化問題では団塊ジュニアの不遇を指摘する声がある。「就職氷河期」や「リーマンショック」を続けて経験した結果、不安定な雇用と低所得に苦しむ傾向にあり、恋愛や結婚、子育てをする心とお金の余裕がなかったからだ。


そしてそんな彼らは現在40代を迎え、結婚や出産の機会はほぼ失われた。それ以下の世代がたとえ多産になったとしても、子供たちが「立派な納税者」となるまでに20~30年かかる。しかし残念ながら、今の若者が多産に励むことはないだろう。少子化は時限的な国難ではなく「永続的」な国難なのだ。


子育て対策≠少子化対策

総選挙では各党が少子化対策として幼児教育や高等教育の無償化、待機児童解消、育休産休の奨励などあらゆる政策を訴えた。若者の経済的負担を減らすことで、子供を産み、育てやすくすることを目的にしているが、有効性は薄いと私は見ている。


なぜならそれは数少ない既婚者やカップルに照射する政策であって、全体の底上げ、つまり少子化の根本たる未婚者や非婚者の減少を目的にしてないからだ。


お金という「エサ」を見せたところで、そもそも相手がいない。仮に何かがタダになったところで、若者が恋人探し、パートナー探しに奔走するとは到底想像できない。


もちろん、若者の経済的な負担軽減や経済力強化は否定しない。経済格差が招く教育格差を減らすことは機会の平等につながり、所得や雇用を安定させることは経済成長につながるからだ。しかし、これらはあくまで教育政策、経済政策である。その副産物として出生数が増えたら儲けものと思うべきであって、出生率回復を一番に期待するのは楽観的すぎる。


理想が高い?敗者ばかりの若者たち

根本的な問題は何か、それは「理想像のインフレ化」ではないだろうか。経済的問題はその理想項目の一つにすぎない。理想像という対象から「排除」されることは貧乏、ブス、キモい、ダサい、オカシイなどの烙印を押されることを意味し、我々は互いに格付けし合う「品評会」に参加しているのだ。


例えば「収入」の場合、若者の所得は低いにもかかわらず、安定を望むばかりに上位十数%の所得を望む人や、自分にお金が無くて諦める人である。


「容姿」も厳しい。基準が身の回りの人ではなく、テレビやネットに映る俳優や女優、アイドルを含めた平均となれば同世代のほとんどは落第だ。アニメまで含めると、この世の全ての人間が落第だろう。


「趣味」だってそうだろう。いわゆるオタクは真っ先に排除の対象であり、はやりに沿わない人はダサい人、変人でありこれもまた減点の対象だ。


コミュ障、社会不適合者という言葉も「普通」のハードルが上がった社会ならではの発想だろう。他にも「学歴」や「職業」など項目は複数存在する。


敗者が選んだ道とは

一昔前ならお見合いやお節介なおばさんの紹介などによって「品評会」から離脱する道もあった。妥協しろという社会的圧力もあっただろう。しかし、今さらそういう社会に戻ることは非現実的だし、個人の意思を踏みにじっている。


現代は自由恋愛を基本とする、烙印を押し合う社会だ。自然と自らについた烙印を知り、価値が示される一方で、理想像は据え置くのが多くの敗者である。


お金は欲しいし、テレビやネットの影響を受けた好みは簡単に変わらない。そして妥協して恋人を作るなんてことは費用対効果の悪い選択だ。


それなら甘んじて敗者であろうとする人が増えた結果、勝者は選抜に選抜を重ねた限られた人間だけとなる。心や価値観、経歴などはすぐには分からない。そうなると…

かわいい子には彼がいる
かっこいい子には彼女がいる

という外形的な情報ばかりに目が行く。確かに全員が全員、容姿端麗とは限らないが、理想像のインフレ化した時代にあって、あながち誤った考えとは言えないだろう。お金だけではない様々な「諦め」が今の若者を覆ってるのではないだろうか。


したがって、我々は少子化を前提とした国家構想、政策を行うことが必要だろう。雇用政策や経済政策、教育政策など急がば回れかもしれないが、目下の課題を乗り越えることが「国難」突破への第一歩である。