水師営の別館

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【陣風賦】H30.12.24「少子化への諦念」

浮いた話が自分やその周囲で起きることなく今年も終わろうとしている。家と職場の往復、時々学生時代からの友人と飲み会という日々が続けばそりゃそうだろうと納得してしまうのだから仕方ない。そんな男女が増える一方だからなのか、今年の国内出生数が過去ワーストとなった昨年を更に下回る92万人となった。


▼これほど少子化少子化と問題にされながらも一向に解決する兆しも現れず、減少の一途をたどる我が国の行く末には不安を覚える。しかし口では問題だと言いながらも、正直なところこれは解決しないし、解決できない事象だと諦めている人が少なからずいるのではないかと思う。国民一般に限らず、政府中枢や知識人の中にでもだ。


▼よく理由として挙げられるのが若者の低所得化と長時間労働だ。お金がなければ自己の生存、生活にお金を使うことで精一杯だろうし、他人(恋人)に構う経済的、精神的余裕もない。そして長時間労働が慢性的になれば他人に使うリソースやコストも減るだろうし、この生活環境の下、夫婦共働きで家事に子育てという未来を描くことは困難に違いない。


▼過去のように「男は仕事、女は家」という一方に割り切った社会構造なら耐え得る環境だったかもしれない。しかしもはやそんな時代は過ぎ去った。にもかかわらず残業が当たり前、有給が取れなくても当たり前、社畜自慢のオンパレードとなれば出会いも、家庭を築く未来もなくなってしまうのは当然の帰結ではないだろうか。


▼保育園が無償化、給食が無償化など優遇措置を施したところで、それらは生まれてからの政策でしかない。生まれるまでの環境が劣悪であれば無意味だ。例えるなら水源地が枯れそうになっているのに、下流で護岸工事を懸命にやっているようなものだ。


▼今20代の我々が年金世代になったとき納税や消費の中心世代は近年生まれた子やこれから生まれる子である。その数がこれほど減少していることが重大な意味を持つことは十分承知であろうが、この傾向はまだまだ続くだろう。場当たり的な無償化、給付措置ではなく経済政策、労働政策、教育政策の一大的革新を切に望む。「国難」という自覚が心の底からあるのか疑わしく思えてならない。