水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。あと早期リタイアを夢見て入社1年目から少しずつ準備しています。

20代からの早期リタイア計画「早期リタイアを目指すに至った経緯」

これまで書いてなかったこと

早期リタイアを実現するために節約の仕方やお金の使い方、我々世代の生き方などについてこれまで書いてきました。しかしなぜ早期リタイアを目指すに至ったかについては書いてこなかったように思います。一年間を振り返り、それらを整理してからその経緯を書こうと思ったからです。ようやくその用意が終わり文字に表すことができたと感じています。


私自身これらを顧みると不運だったなと思うこともありますし、生来のマイナス思考も災いして未来に期待を持てず悩ましい日々を過ごしています。漠然とした悲観論とどう向き合い、処理していくべきかが私にとっての重大な課題となっています。文章を読んで「甘いなあ」と思うのも結構、「私も」と共感してくれるのも結構ですが、これが紛れもない今の気持ちであることを宣言します。


配属約50日で教育係が休職

会社にはいわゆるメンター制度とかブラザー・シスター制度などが存在はしませんが、業務や社内慣習などを教えてくれる人が私にはいました。便宜上教育係と呼びますが、少しずつ教わりながら仕事をしていました。教わり、真似をしながらの日々でしたが、ある日より会社に来なくなりました。それから数日後、上司から「彼は休職した」との報告がありました。


今も復職できず、丸一年休職していることになります。その人から「今の業務は向いてない」と一度聞いたことはありましたが、心を病むほど負担であったと衝撃を受けました。同時にこの出来事から徐々に不安が増大し、労働への恐怖を感じるようになりました。多少は意気揚々と社会に出た新人の隣で、休職者が現れたことへのフォローの一つすらなかったことは今も忘れることはできません。


給料と能力に見合わぬ負担の蓄積

その後、別の先輩社員(休職した人よりも年上)の人に教わりながら働くことになりましたが、人員減の状況を支えるために私が主担当として行う仕事も出てきました。しかし、だからといって給料が当然増えるわけでもなく負荷だけが増えるようになりました。要領良くできるタイプではありませんが、この非常時乗り切って何とかしようと思いました。


そんな状況を過ごして3か月ほど経った頃、ついに緊急事態は終了しました。人手不足を補うために会社が派遣社員を呼ぶことにしたのです。触れ込みでは今の業務の「経験者」ということでしたが、現実はそれを裏切るものでした。実際は新卒で入った会社はブラック企業、転職先もブラック企業、フリーターを数年やった後に、私の勤め先にやって来たという能力に疑問符のつく人物でした。


今度は私がちょっとした教育係に…

待遇の悪い環境にしかいなかった人を仲間に入れ仕事をしたことも思えば不幸の始まりの一つだったと思います。能力や工夫ではなく、残業で何とかしようとする態度が顕著で正社員の私よりも労働時間が長い月もありました。こんなことを書けば傲慢かもしれませんが、記憶力や読解力の乏しさ、そして労働法に対する知識のなさも酷く、非正規で人員を補うことの弊害を強く感じました。


自分が覚えることで精一杯であるにもかかわらず、この非正規が入ったことにより私は業務の概要や会社の備品、システムの利用方法などを教えるよう言われました。なぜ私がそんな教育係的役割を担わなければならないのか不満を抱きましたし、彼の不始末が原因で私が注意されたことも理不尽に感じました。「こんなこと私の仕事じゃない」と。


昔人間しかいない部署環境

業務量の多さを申告しようにも上司や年齢の離れた先輩は昔人間であり、それくらいやって当然と考える節があります。しかし昔以上の仕事の密度で、昔より少ない手取りで、昔と同等の忠誠心を示せと言われても誰が納得して働けるでしょうか。馬鹿馬鹿しい、コスパの見合わない行為ですし、仮に私を自分と同じような仕事人間にさせたいならもっと別の人間が適しています。私は嫌です。


早期リタイアするまでもなく、見切りをつけて自分が関心のある道に進んだ方がよいのかと感じるようになりましたし、健康、特に心の健康を思うと今の環境は適していないとすら感じます。「隣の芝生は青い」だけかもしれませんが、残業も少なく、コミュニケーションが取りやすく、トゲのある言葉も言われない環境がすぐ近くにあるなかで私だけ損をしているとまた心が疲れてしまいます。


とにかくお金を貯めて選択肢を広げること、これは喫緊の最重要課題として取り組んでいきたいと思っています。