水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。

わたし、うつで休職します「休職前夜」

休職直前に何があったか

これまで休職に至る経緯や休職中のお金についてブログにしました。今回は休職を決断した5月末に焦点を当て、心と体に起きたことと職場で経験したことについて書きます。思い出すことは決して心地よいものではありませんが、私自身記憶を整理して今後の対応を取る必要がありますし、就活生や新入社員の皆さんへの教訓になればいいかなと思い書くことにしました。


この時期は早朝覚醒といって起きるべき時間よりも早く目が覚めていました。そのため遅刻するということはありませんが、朝から憂鬱さと不安に苛まれていました。心の調子が悪くなるにつれて足取りが重たくなり、僅かな抵抗からなのか乗る電車も一本、二本と遅くなっていたことも強く記憶に残っています。


膨大な業務量と働かない頭

始業後に直面するのは膨大な書類や稟議書です。常に私に多くを割り振られ処理能力と供給量がミスマッチした状態でした。その他にも請求書や伝票、社内資料の作成、社外との連絡、業務改善案の準備、部内庶務とメインの仕事とサブの仕事に追われる日々でした。この業務量過多を端緒に心身の不調が始まったわけですが、休職前にはそれらに文字通り手がつけられない状態になりました。


頭も手も動かないし、声も出ないという時間が増えていき、業務の進捗に遅れが出てくるようになりました。様々な業務の期日を短期間に詰め込まれるも懸命に処理してきました。しかし処理すればするほどその数と求める質が上がっていく悪循環に陥り、最後は考えることが怖くなってしまいました。印刷ミスやスペルミスなども増え、単純なことすら満足にできない状態でした。


心配する他部署の人々

私の業務量や負荷、能力と釣り合わない要求事項の数々に無関心な管理職や上司とは反対に、就活のときお世話になった他部署の課長さんや技術職のベテラン社員、支店の先輩社員は私の困惑した様子や覇気のない様子を気にかけてくれました。また同期もやけに心配してくれていたことは覚えています。


心配された時点でもうどこかで危ない兆候は表れていたでしょうし、人はよく見ているのだなと認識しました。こうした同情に上手く答えられればよかったのですが、そのとき私は雑談レベルの会話すらおぼつかない状態にありました。なんとか取り繕ってはいたものの、他愛もない会話すらできない状態は危険度が高いと言っていいでしょう。


休職を後押しした言葉

休職が頭によぎる中、負けていられないという意識もありました。しかし、最後の抵抗すら奪う数々の言葉が決定打となり私は休職を決断しました。


精彩を欠くミスが多発していたことから上司に別室に呼び出され「もっと頑張るように」と促されました。精神が弱った人に頑張れと言うのはよくないと言われますが、それは時と場合によります。残念ながら私は最悪の条件でかけられた頑張れでした。また同時に「来月からはもっと忙しくなるけど頼んだよ」とも言われその期待が生命の危機をはっきりと自覚させました。


また私が抱えていた案件で他部署との調整が必要な事案が発生しました。担当者だけではらちが明かないので管理職を交えて意見や認識のすり合わせを行う必要がありました。そこで私は打ち合わせを行いたいと具申したところ「それはあなたの責任でやって。俺は参加しない」と自己責任論を振りかざし拒否しました。何のための役職であり責任なのかと私は途方に暮れてしまいました。


私が休職できた理由

歯を喰い縛る最後の気力を失ったことで私は休職をし、現在に至っています。もしここで管理職や上司がブラック企業の手口にあるようにただ負荷だけでなくアメを与えていれば、確実に体を蝕むことにはなっていたでしょうが休職はしていなかったと思います。単なる「クラッシャー上司」だったことが幸いしました。


また会社としてはホワイトなので休職に関する規程が整備されており、これを熟読していたことも休職できた理由です。手続きや給与、復帰までのプロセスなど労働者有利の仕組みになっており、安心して心身を休めると分かったからです。


辞めるのではなく休職することで身体的に、経済的に、社会的によい選択ができたと確信しています。心身の危機には速やかに対処しましょう。健康第一です。


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