水師営の別館

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【陣風賦】R1.10.31「英語民間試験」

日本人の英語教育を語る際に「受験英語」という言葉がしばしば使われる。文法や熟語の暗記を中心にリーディング重視の英語を指している。こうした既存の英語教育から脱却するために、民間試験が利用されることになっているが、文相の一言から導入に黄信号が灯っている。


▼民間試験導入の問題点として試験会場の地域格差や受験料に関する経済格差を問われ「身の丈に合わせて勝負を」と述べたことが発端だ。国が格差を容認し、新制度の不備を大臣自らが認めたと批判が殺到している。


▼離島や僻地に住む受験生が民間試験を受けようとすると受験代だけでは済まない。その受験代も最大2万5千円と低所得世帯には重たい負担である。ただでさえ開きつつある経済格差から生じる教育格差を黙認するに等しい大臣の発言や本政策は批判されて当然である。


▼どんな家庭環境にあろうとも制度それ自体は平等にした上で結果を問うことが受験の大原則ではないだろうか。そのために毎年現行のセンター試験では、平等性を重視した試験の進行を行っている。


▼そもそも異なる8つの民間試験を一つの価値基準で判断することに無理があるのではないか。各試験は必ずしも受験用に作成されたわけではない。民間を使おうとしたところから制度に無理が生じたと言えよう。


▼読む、聞く、話す、書くの4要素を測るための新制度と言われているが、それなら現行のマークシートに加え、各大学の二次試験で工夫を凝らせばよいだけである。制度をいじることが最早目的になっている感すらある。


▼生まれ育った家で人生の選択肢や可能性が狭まる国に若者が希望を持てるだろうか。18の春から敗北感に遭わせることが大人の役割ではあるまい。単なる教育政策のみならず政治家としての政治哲学が問われ、その醜さが露呈したと言ってよいだろう。制度の中止を求める。