水師営の別館

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【陣風賦】H30.11.25「大阪万博招致決定」

人は過去の成功体験を忘れられず、それを再び繰り返そうとすると言われる。世代論においてしばしば取り上げられることだ。時は流れ、価値観や環境も一変する中で同じ方法が成功するとは限らないにも関わらず固執してしまうのも人間の悲しい性なのかもしれない。では先日決定した7年後の大阪万博開催もまた「あの栄光よもう一度」なのだろうか。


▼昭和39年の東京五輪と昭和45年の大阪万博は我が国のインフラ整備を促進し、経済大国日本を意識させた高度経済成長期を彩らせる大イベントだった。「敗戦からの復興」という分かりやすいシナリオもあり、多かれ少なかれ国民は豊かになってきたという「共通の夢」を見ることができた時代であった。


▼しかし同じように五輪&万博のセットが到来した2020年代の我が国はどうだろうか。大イベントで景気浮揚となるような楽観的な未来は見えない。あの東京五輪決定の歓喜の瞬間から現在の迷走を思うとまた同じようなお金の出し渋りと、描いたプランが徐々に陳腐化し、行事そのものよりその外縁でのトラブルが目立ちそうな不安が拭えない。


▼開催場所は大阪の負の遺産として挙げられる夢洲である。土地の有効活用と土地と土地とをつなぐネットワークの整備に向かえば大阪・関西の経済の起爆剤になるかもしれない。このように淡い希望をかすかに寄せる私もまた過去の成功譚に囚われているのかもしれない。


▼そもそも何かイベントを行うことで国家を盛り上げよう、景気を何とかしようとする発想が貧しい。2020年の五輪が終わった後は不景気が予想されるとは言われてきた。それを紛らせるために万博を招致したとしたらそれは5年間延命させたにすぎない。2025年以降の未来のつけを負わされるのは我々若い世代である。


少子高齢化、人手不足、デフレ経済など深刻な課題を抱える国であることを忘れ、一時の祭事に浮かれる余裕は少なくなってきた。祖国の未来に一抹の不安と諦念を抱きながら私は事の進展を眺めるのだろう。万博開催は快挙と思いながらもやはり失われた20年いや30年の出口にはならないだろうなと心のつっかえが取れないままでいるのだ。