水師営の別館

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どうなる大学無償化

このブログでは初めてとなるより硬派な政治的な記事となるでしょう。安全保障や経済について取り上げるのも一つの案でしたが、読者層が学生だろうということで身近な話題を扱うことにして、皆さんにも考えていただけたらなと思っています。ずはり今回のテーマは大学教育とお金の話です。そしてその中心となるのは大学無償化の話です。



結論から言うと、私は大学無償化に部分的賛成です。つまり、実施するなら国公立大進学者限定の授業料無償化にすべきでしょうと考えています。なぜ国公立大進学者だけなのか、そしてなぜ一律無償化に反対なのか。それは一つに財源がなく、二つに無償化の価値がない私立大学が多く、三つに家庭の教育費増になるという3つの理由が考えられるからです。



まず「財源がない」です。ここ数年歳入は増加してますが、国民の健康にかかわる社会保障費や国民の生命、財産にかかわる防衛費増を優先せざるを得ません。そんな中、新規に予算措置を講じる余裕はなく、全大学の授業料無償化で約3.1兆円と言われています。なお国公立大に限定すれば約4千億円必要ですが、国が国民に高度な教育を提供するという観点から考えるとこれが現実的な最大限の支出額でしょう。



2つ目は「無償化の価値」です。大学進学率は半分を超えた我が国ですが、これは単なるモラトリアムの延長の場と化した高等教育としての資質が疑われる私大が増えたことの証拠ではないでしょうか。中高の英語や数学の復習レベルの講義を受ける学生に税金を費やす価値が果たしてあるのか…薄っぺらい学士号獲得に付き合う余裕はありません。



3つ目は「家庭の教育費増」です。無償化は経済的理由からの進学断念を解消することが目的の一つです。しかしその分多くの家庭が受験に参戦することになります。高所得層は容易に教育費を積んで今度は大学の「質」を上げられるでしょうが、低所得層はたとえ経済的問題から解放されてもこれでは太刀打ちできません。そして中間層は受験戦争勝利のための戦費増に疲弊してしまうでしょう。



無償化で安くなるどころか高校いやそれ以前からの教育費の支出に追われては元も子もありません。タダと思いきや実は負担の順序を組み替えただけという滑稽な話になっては意味がありません。仮に国公立だけ無償化となれば1つ目、2つ目の問題は解決するでしょうし、最後の問題はそれでも確かに起きるでしょうが、一律無償化に比べれば世間の許容範囲内で影響を抑えられると見ています。



私大進学者は自己負担でと感じるのはやはりいわゆるFラン大学が多いからでしょう。国が偏差値という曖昧な基準で足切りをするわけにはいきませんから、運営実態の審査を厳密にするしかないです。そして年間約3千億円の私学助成の分配額も再検討すべきでしょう。浮いた分を難関私大進学者向けの奨学金に充てるのも一つの案でしょう。



大学無償化議論は主義主張をこえて納得できるはずのテーマです。予算根拠と対象校の選別さえ決まれば一定の議論を経て実現すると期待しています。「私の頃は苦労しながらも~」という個人的経験談から反対する人もいるでしょうが時代が違います、物価も学費も違う以上ナンセンスです。新入生が大学に入る季節を前に私はこのように感じました。