水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。

人はなぜいい学校を目指すのか?

ドラマ好きの私は今クール計5本見てるが、その中には金曜22時TBS系列で放送中の『下剋上受験』がある。この作品は中卒の父親とその娘が超難関中学合格を目指すという実在した親子の奮闘記を原作にしたホームドラマであるが、そのドラマや原作者のブログから私が感じたのは「学歴への負い目」と「いい学校に行けばいい大学、いい会社に入れて、いい人生を歩める」という考えだった。


この考えのうち、特に後者は古くから言われることだが、なぜずっと言われ続けるのかそう自問自答したときにたどり着いたのがこの結論である。「いい学校(つまり学歴や知識)こそが普通の家庭に生まれた子に与えられたいい人生(金銭的・精神的安定や余裕)を得るための手っ取り早い方法である。」ということだ。


いやそれは違うという声もあるかもしれないがどうだろうか。例えば美男美女に生まれることは生得的な幸運であり、こんなことに期待しても無駄である。凡人が写真集で18万部稼ごうと努力するより単語の1つや2つ覚える方がはるかにいい人生への近道である。プロ野球選手になるのと難関大学に入ることのどちらが簡単かは言うまでもない。


生得的な能力やリスキーな能力に賭けられない我々、一般家庭に生まれた凡人はやはり勉強するしかないのだ。だから親心で子供にいい学校に行かせようとした原作者は決して我が子に受験を強いる悪魔でも鬼でもない。武力がモノを言う戦国時代でもない平成の御代で唯一下剋上できるのは受験という合戦場ではないだろうか。


もちろん大学進学を全員する社会を目指すべきとは思わない。手に職をつけたり、高度な技術が求められる家業を引き継いだりする人は存在するし、高等教育と言いがたい大学を増加させてまで大学進学を促す社会は健全と思えないからである。


しかし何ら生得的な才能を持たずに生きる以上、勉強という競争こそがいい人生を送るための近道の一つであることは間違いない。


ある人は「学歴は仕事に関係ない」と言うが、仕事にたどり着くまでに大いに関係するのだからこんな主張はあてにならない。(こういうことを言う人に限って高学歴なのだからなおさらいかがわしい主張だ。)


2月、3月と受験シーズンまっただ中だ。受験生には各人の家庭環境の違いはあるかもしれないが、競争に励んで栄冠を掴んでほしいと願うばかりである。