水師営の別館

Twitterで呟ききれなかったことや最近気になったことを書くブログです。

私の高校時代の話

進学の春に思うこと

桜が咲く美しい季節がやってきました。家の近くの桜並木は満開でお花見したいなあと思うばかりです。この時期は就職や進学に胸踊らせる人も多いことでしょう。私は今は無職ですが8年前の今頃は大学で友達ができるか不安になっていましたし、4年前の今頃は社会で働くってどうなんだろうと思いを膨らませてました。そして高校卒業から10年が経過するということに時の流れの速さに驚くと共に楽しかった高校生活を思い出しました。今日はそんな高校時代、特に高校進学についてお話します。


私は県内で2番目に難しい高校に進学しました。進学理由はそのレベルの高さへの憧れと家から自転車で10分で行ける気軽さからです。正直なところ中3の途中まで成績は振るわず、これは厳しいかなと思うときもありました。受験校選択の最後の最後まで悩み、躊躇していましたが父親から「落ちたら私立行けばいいし自分の意志を優先しなさい」と言われ、捨て身の覚悟で挑んだら運良く合格し今の母校となりました。

衝撃を受けた最初の試験

自己採点を厳しめにしても合格圏内だったことから受験後はしばらく満足感と自己肯定感の高まりに包まれていました。合格発表後、全く勉強はせず毎日野球ゲームで遊んでましたが、進学先の高校から課題が示されました。国数英の試験を入学直後に行うからその試験範囲を指定の参考書を使って勉強しなさいと言われました。受験完勝の優越感に浸った私は中学時代の努力ほど勉強せず、それなりにやっておけば大丈夫と高を括って春休みを過ごしました。


それから新年度を迎え入学直後の試験に挑んだとき自分の甘い目論見を悔やむことになりました。高校レベルの英語は全く分からず読めないし和訳もできない、百人一首の口語訳は覚えてないし時間内に解けない、苦手の数学は問題文から意味不明と散々な結果でした。しばらくして成績表が渡されましたが下から数えた方が早く、中学時代にバカにしていた劣等生のような順位となり自分の不徳を実感しました。

それでも真面目にならなかった私

順位の悪さには確かにうちひしがれましたが、一方でギリギリ努力して入れたのだから仕方ないでしょとも思うようになりました。心を入れ替え勉強に打ち込めばよかったのでしょうが、帰宅したら高校進学と同時に買ってもらったガラケーでのメールやインターネットにハマってしまい受験生になるまでまともな勉強はしませんでした。携帯電話のない中学時代とは変わって娯楽を手にした私は堕落してたと思います。


今のスマホ全盛期の10代の中にいたらSNSにハマり、動画やネットで時間を潰していたことは間違いないので恐ろしい時代になったと思います。禁欲的に勉強に専念することは難しかったでしょう。学校での勉強と塾での講義に満足し、自主的な家庭での勉強が足らなかったところは今でも反省点の一つです。強制的にやらされないとやらないという自分のダメな性格もありますが、ある種高校受験で完全燃焼しきった感もあったかもしれません。

進学校に行けたからといっても…

県内二番手、国内的に見ても上位2%の高校に行けたとしてもその後の進路が保障されるわけでもありません。勉強は7割の努力と2割の才能と1割の運で構成されると思います。立場に安住せず、予習復習演習を繰り返し弱点を潰すことが大学受験での勝利につながるでしょう。実際、母校の進学先のボリュームゾーンは県内や近県の地方国公立大学(いわゆる駅弁大学)であり旧帝大やそれに準ずる大学や難関私大はごく限られた人しか進学できていません。


進学校に行けた自分に満足し手を抜いてるとあっという間に学力は落ちてしまいます。いい大学へ行こうと思ったら努力は高1、高2から始めるべきだし、そのスタートが遅かったことで私は後々苦しむことになりました。高校生活は総じて振り返ってみれば楽しかったし充実していましたが、後悔を告白し過去の自分に伝えるなら「もっと勉強しなさい」と言いたいです。そうすれば大学も難関私大ではなく最難関私大に行けてたかもしれません。


色々あって現在無職になった私も再就職のためにまた受験勉強のように資格勉強しないといけないかなと思っています。勉強は高校でも大学でもそして社会に出てもついて回る存在なので自分ももう一度向き合い努力しようかなと思っています。春から新入生、新入社員となる皆さんも初心を忘れず、あるべき姿目指して絶えず努力してほしいです。